絵を発表することよりも大切なこと
わたしは画家になると決めてから、絵を展示し、発表することを目標にして活動してきた。
日本では、絵を描く人口は多いが、絵を買う人は少ない。だから絵を売って生活できる人はほんの一握りである。
だから、どうすれば絵を描いて生活できるようになるか、計画を立てることにしたのだ。
時間は有限で、戦略は必須で、自分がどう見えているか、どういうふうに自分の画風を確立し、打ち出していくか、そんなことばかり考えていた。
そして、具体的な行動を起こした。
公募展に応募したり、展示の誘いがきたらできるだけ参加するように努めて、チャンスを少しでも広げて、自分を発信することにいそしんだ。
このブログも、絵で食べていくことを真剣に考えてはじめた。
それは、つまり人からの評価、人気を得て自分の絵の注文が入ったり、食べていけるだけ売れたりするということである。
つまり、職業の画家として
「成功」
することを考えていた。
すると、どうだろう。いつのまにか、この展示をするためにはこういう作品をつくろうと、
知らず知らずのうちに、
「展示のための」
制作になっていたのである。
最初はそれで良かった。、
絵の展示の誘いが来て、最初はすべて受けようと思った。わたしの絵をみてもらう機会があるなら、うれしい、と。
絵の研究をする、自分の描きたいものを好きなだけ描けるように、ときには気がすすまない絵をときには描くこと、職業として絵の注文や展示依頼をこなし、収入を得る。そういうことも大切だ、と。多少の制約は仕方ない、と。
けれど、それは本当にわたしがめざす画家としての生き方なのか?
ふと疑問がわいた。
そして、
「展示のための絵」
を描いている自分への違和感は日増しに強くなっていった。
ついには、
活動を続けるうちに、わたしは、自分が本当に描きたい絵をを見失うのを感じた。
だから、今、いったんこの画家として成功することをいったん放棄することにしたのだ。
展示できた、絵が売れた。人に評価された。
そういう、流動的なものではなく、確固たる価値をーー。そんなことも超えた先、本当に後世に残せる遺産の、文化のひとかけらにしたいと__。
名誉がほしいわけではない。けれど、わたしが、一生かけて取り組む問題に価値をつけたいのだ。わたしの人生が無意味でなかったと、証明したい。
だから、わたしは
「ああこれが自分の求めていたものだ」
と納得できるまで__。そのイメージに到達できるまで__。
それまでは、ひたすら黙々と修行のように絵の研究を続けることにした。
それには多くの時間と労力を費やすだろう。仕事も続けながらなのだからなおさらだ。
それなりの作品を発表し続けることはできる、続けていけば売れることもあるだろう。けれど、それでは、そそこの完成度ではだめなのだ。そんな中途半端な絵画を量産すつくらいなら描かないほうがいい。
たくさんの「それなりの」作品より、渾身のたった一枚の絵を完成させることに人生を懸けたいと思ったのだ。
「今」描かなければいけない絵がある
わたしがこのように思ったのには、あるきっかけがある。
それは、展示にいくつか参加することが決まり、いざ作品をつくっているときだ。
なぜだろう。全然描く気が起きないのだ。サイズ、テーマ、、数、画材。公募展も、企画展も、個展すら会場によっては制限されることがある。
わたしは、その枠組みのなかでしか制作できないことが、知らず知らずのうちにストレスになっていたのだ。
そんな折り、わたしのなかに、繰り返し頭にあらわれるある風景のイメージがあった。それは、少し前に京都へ取材したときにスケッチした北山杉の斜陽の風景であった。
そのイメージは、一向に消えることなく、来る日も来る日も頭のなかへ飛来した。
なぜ、展示用の絵をきなければならないのに、これが消えないのか。わたしはひどく戸惑った。
これを描くのを躊躇ったのには理由がある。
なぜなら、それはどこにも出品できない、床一面のサイズでしか描けないようなイメージだったからだ。
小さいギャラリーなら入らないくらいのサイズの大作なのだ。。こんなもの、描いても売れるどころか、発表する機会ももてないかもしれない。作業するスペースもない。
しかし、そのイメージは、わたしに描けと執拗に、心を、精神を、脳にくりかえし語りかけてくる。
それは今思えばまるで神の啓示のように強く、まばゆい光のように鮮烈だった。それははらっても消えない訴えで、わたしはそれに抗う術が見つからなかった。
そして、その強すぎるイメージは、かえって今えがかないと、離散し、もう二度ともどってこない気がした。
だから、
今、自分はこの絵をえがかなければならない、そう確信したのだ。
実際、この絵を描くとなり、現状、かなり無理をしている。
サイズは、
縦2.1m横3,1m
模造紙を床一面に広げ、アトリエ様の部屋がなく、9畳ワンルームに住む私は生活スペースを犠牲にしてこの絵を描いている。
わたしは日展やニ紀展を目指すような大作主義者ではたい。
だから、何度ども小品にすることも考えた。けれど、この絵のイメージはどうしてもこのサイズでないと駄目だった。熟慮を重ねた結果、この大作は必然として生まれてきた。
それでももう描き始めてしまったから、あとは進むだけだ。
あえてそういう絵を描いて人に見られない芸術こそ本当の芸術だと思ってはいない。
たまたま、わたしの魂が、今、描きたいと願うものは売れるような代物ではなかった、というだけだ。
小品であれば、短期間で数もたまり、近いうちに個展も、ひらけたかもしれない
けれど、私は個展を目標とするのをやめた。
そのかわり、
今、どうしても描きたい、描かなければいけない、絵を描く。
そう決めた。
それは人に見せる仕事として、展示があるから描かなければいけない絵ではなく、今、自分の魂に強く描けと訴える画題にひとつひとつ向き合っていくということだ。
わたしは、絵を描くことに自分の時間のすべてを使うことはできない。
日中は働いていて、絵描きとして使える時間は限られており、この作品を仕上げるのに一年は費やすと思う。
その間、他の小品をつくれるかどうかもわからない。展示で生計を立て、生活しいくことはできないだろう。
けれど、私の尊敬する画家は、絵で必ずしも食べて行っている人ではない。
私の敬愛する絵描きは、ひたすら思考し、深い絵の哲学をもち、それを画面上で黙々と実行する人だ。あるいは、足を運び、目を使い、耳できき、あらゆる熟慮を重ね、絵画のなかで生きる人だ。
たとえば、
アンリ・ルソーという画家をご存知だろうか。
彼は、何十年も税関職員として勤める傍ら絵を描いたいわゆる「日曜画家」である。
彼の産み出した絵画は、素人と揶揄されたが、皆さんはどう思うだろうか。
私はルソーの絵はどこまでも、清らかで、どこか滑稽でもあり、幻想的で、神秘的だ。彼は、古典絵画に傾倒し、ルーベンスなどをよく模写していた大変な勉強家であった。けれど、彼の絵はまったく古典派とは似ても似つかない独創性を発揮しているところが、ルソーの面白いところである。彼は、自分の画風などにこだわらず、愚直に、ただまっすぐ絵に向かっていた。
そう、彼は立派な画家の精神をもっていたーー。ルソーのように、愚直に、不器用でもいい、真っ正面から自分に嘘なく絵に向かっていきたい。
画家としての戦略や計画を放棄しても、
ただがむしゃらに、今しか残せないイメージを残したいとーー。
そして、そのイメージを突き詰めたその先にある景色を、感情を味わってみたい。どんな絵が生まれるのか見てみたいと。
自分もだれも彼も未だみたことのない世界の美しさがかたちとなってあらわれる、それこそが絵の神秘である。
そういう神秘に浸っているあいだだけが、私の生命は沸き立つ。それ以外は自分が生きた心地がしない。
自分の新鮮な感動をそのまま画面にとじこめるためのあらゆる研究を重ね、決して妥協せず。その絵の姿に向かい、
常にイメージの感動のなかで持続していること。これが画家として生きることだ__。
一枚の絵に全てを懸ける覚悟
わたしはその画家としての教示を守るために、どこにも展示する予定のない絵を描くことに決めたのだ。
展示することも、うることも、もっといえば完成させることも考えず、わたしは今、最大の力をもって、わたしの描きたいイメージを信じ、絵画の力を信じ、画面に向かうだけだ。
とにかく今、目の前にでかでかと横たわるイメージがを完成させたとき、わたしにとっての希望の光となっているだろう。
そして
誰にも求められない絵が、いつか誰からも見捨てられた一人の人を救う一筋の光となるようにーーー。
そんな祈りをこの絵に捧げる。
絵の価値がなにによって決まるのか。そんな基準はどこにもないのだ。
頑張ったものが、良いものとは限らない。
売れたものが、人気のあるものが良いものとは限らない。
わたしは以前の記事で自分の絵をのせ、
「たった1人のあなたに届けばいい」と書いたことがある。
結局、本質はそこにある。
私か、あなたが感動する絵であればそれは価値あるものでしょう
そのことだけを目指して生きていきたいと思った。わたしが死んだあとに、この絵が捨てるのが惜しいと、あなたが思ってくれるかもしれないでしょう。
そういう1枚を、
「今」
生み出したいと思った__。
わたしは美しいものに出逢い、表現しているときだけ生きている気がする。
時間も、仕事も、名誉にも、何者にも、犯されない絵描きとしての証明。本当にそれで良いのか?本当に、その絵でいいのか。常に考え続け、追い求める。
たとえ、志しなかばで倒れても悔いはない。
わたしがそれまでに残した絵は、詩は、かたちとして残る。いまだ辿り着かない未知のイメージに、辿り着けない、辿り着きたいその境地へーーー。