私が絵の仕事だけで生きていく覚悟を決めた理由【兼業画家、辞めました】

「生活のため」の仕事は、虚しい

先日、自分の人生の中で大きな決断を下した。

それは、現職を辞め、開業届を出し、

絵描きの仕事だけで生きていくという決断だ。

提出した開業届

突拍子もない出来事だ、

皆さんも、驚かれるかもしれないが、

このことは、実は自分が1番驚いている。

つい数週間前までは思ってもいなかったことだ。

私のなかで、もちろんヴィジョンとして、絵で独立していきたいという気持ちはあった。

けれど、まずは、兼業画家として、地固めをするというのが堅実であり、現実的だと思ったためだ。

かつて中学校教員だったためか、

親に、いきなり公務員からフリーターになるのは無謀だといわれ、納得した自分がいた。

食べていくためにー。

準備期間として、会社員でいようとー。

けれど、実際に就職してみると、

ほどなくして、自分の心がすり減っているのを感じた。

他者からの評価にビクビクする自分。

絵の制作に集中できない自分。

自分が、自分でいられなくなるような感覚ー。

なぜ、こんなに苦しいのだろう??

食べていくための仕事を頑張り、絵も頑張ると決めたのにー。

どうすればいいのかわからなくなっていた。

ひとつだけ確かなのは、このままだと、心が緩やかに死んでいくという気配への恐怖だった。

人には、それぞれの役目がある

私は、自然とお世話になっているひのつみ画廊へ、足を向けた。

オーナーさんは、こう話して下さった。

皆、与えられた「お役目」がある。

久留里さんにも授かったお役目がある、と。

今の私の人生において、最も大切なことは、絵描きの道を、ただひたすらに真っ直ぐ、進むこと。

ならば、私のお役目は、何だろうー。

と、心の中に問いかける。

けれど、具体的な今後の身の振り方について中々考えがまとまらなかった。

そこへ、また転機となる瞬間が訪れる。

それは、フリーランスで生計を立ててる方からの、ある問いかけであった。

あなたは、仕事に対して、どのようなことを求めているのですか?」

そこで、ハッとした。

これまでは、自分に向いている、絵を描くための時間や労力を割かれない、ラクな仕事をー。

そればかり考えていた。

けれど、私は、本当はーー。

人々と心の底から繋がる仕事がしたいー。

一対一の対話をして、心からありがとうと思って頂ける、そういう、人のためになり、自分も喜びを感じられるー。

そういう仕事がしたい。

気づいたらこのように答えていた。

すると、

貴方は絵でその仕事をやるのでしょう?」

といわれ、

びっくりするのと同時に、

そこではじめて、絵で食べていくという道が現実として頭にはっきり浮かんだ。

絵で食べていくのは難しいから、と無意識のうちにその道の思考に蓋をし、できないと決めつけていた。

けれど、この方からの一言で、

を仕事にすることが、突拍子もないことから、現実のものへと移り変わっていったのだ。

誰の責任でもなく、誰かの評価に振りまわされるのでなく、

自分の信念のもと、仕事をし、

そして、自分の責任のもとで、クライアント様と心を交わし、対価を頂くー。

仕事を待つのではなく、自分で仕事を掴み取ってゆきたいと思った。

自分なりの方法で生きてゆくという一本の道が、微かに、しかし遠くまで伸びているのを感じた。

ひのつみでの言葉、お役目という言葉がよぎる。

これが、私の「役目」なのではないか、とー。

退職届を出すと決めた時、

「やりたい仕事だけでは生きていけない」

ではなく、

やりたい仕事だけをやるにはどうすれば良いか?」

と、

頭が自然と切り替わった。

そうすると、自ずとやるべきことがはっきりと見えてくるのだ。

これまでのもやが、嘘のように綺麗に消えた。

あとは、やるだけ。シンプルで、明快だ。

とはいえ、

勿論、安定を失うことへの抵抗はものすごかった。

こわい、こわい、こわいー。

けれど、感性が死んでゆくよりよっぽど良いと思った。

もう、そういう風に生きていくのだな、と、どこか冷静に悟っていた。

頭が壊れそうなほど緊張していたが、

自分でも不思議なほど、

心はどこまでも落ち着いて、晴れやかで、これからのことを考えていた。

絵を描くだけでは、仕事にはならない

仕事とは、誰かの役に立ち、その対価をいただくことだ。

家に篭って、ひたすらに美の道を追求しているだけでは、

誰かに見つけ出してもらい、求めてもらわない限り、何も始まらない。

それでは、どこまでも

受け身の姿勢なのだ。

だから私は、

自分から、皆さんを

「見つけ出しに」

行きたい。

共感と、心の交流を、求めてー。

自分の内面や思想を絵にして、発表し、それに共感して頂くだけでなく、

これが通常の画家の仕事だと思う

皆さんと一対一で向き合い、

心の奥底に隠れている風景のイメージを引き出し、共有させて頂きたい。

そして、それを絵という目に見える形でお見せしたい。

それが、私が今1番みなさんと共有したい絵の仕事の内容である。

最初は、本当にざっくりしたイメージで良いのだ。

実際これまで頂いたご依頼では、

「海」

「サグラダファミリア」

など、本当に簡単な一言から始まった。

そこから、対話を通して、徐々に色やカタチ、構図、を問いかけ、記憶の断片を掘り起こし、

明確な風景のイメージへと繋げていく。

クライアント様との実際の対話の様子

私は、その想いを汲み取り、画面に投影する。

それが、富田久留里による、

対話型風景オーダーメイド制作】

の大まかな内容である。

それは、美術の教員として、社会で、人と接し、絵と人の心とコミュニテケーションをとろうとしてきた、

私だから出来ることなのかもしれない。

他者の心からの喜びが、自分の喜びになる

そういう【共感力】を、芸術と他者との出逢いを通して、身につけることができた気がする。

自分が、社会に揉まれ、大切なものへの想いと、現実での身の振り方との間で揺れ続け、その果てに本当の求めていた道を選んだからー。

だからこそ、

忙しない「社会」の中で忘れかけているであろう、

貴方にとって大切な「なにか」

を思い出すお手伝いをしたいと思うのだ。

心の引き出しを、自然に解き放つことー。

そのきっかけをもつことが難しい世の中だからこそ

画家として、自分の内面の世界を表現するだけではなく、

人間、富田久留里として、貴方の心と向き合い、

絵のイメージを創り上げ、そこに価値を見出していただけたら、とても嬉しい。

価値の押し売りにならぬよう、金額も、こちらから提案はするが、最終的には対話によって決定したいのだ。

心の奥に隠されたもの

最後にもう一つ、

私がこの【対話型オーダーメイド制作】にこだわる理由をお話しておきたい。

あるご依頼で、トレドの風景を描いてほしい。というものがあった。

そこから対話を重ね、

色や風土の特徴、地形、実際に旅をした時の思い出を語っていただき、

キーワードを整理し、

それをもとに、絵の構想図(スケッチ)をお見せした時ー。

「私がトレドで感じた景色だと思います」

そう言っていただいた。

その言葉を頂いた時の、言いようのない安堵感高揚感が、忘れられないのだ。

対話を重なるごとに、風景のイメージが徐々に明確になり、そして、ついに、

クライアント様のイメージが絵画と合致したときー。

心と心が通じ合い、それを絵画が媒介した瞬間だった。

その過程には、確かに双方にとって充実した時間が生まれていたように思うのだー。

※実際のご依頼スケッチ。「強い陽射しが織りなすコントラスト、赤茶、黄茶の土と煉瓦と石の褪せた感じ。曲がりくねった細い道、高い城壁、教会の塔。などのキーワードから画面に投影された風景である

それは、かつて教員時代、

こどもたちが最初は「わからない」と言っていたことが、

「できた!」「わかった!」といってくれた時の感覚に似ている。

絵のイメージというのは、自分でも奥底にしまいこんで、気づけなかった本当の願いや想いを引き出す可能性をもっている。

それが、貴方にとって、とても価値のあるものかもしれない。

わたしは、この対話型風景制作で、そういうものを引き出すお手伝いをしたいのだ。

ここまで長々とお読みいただき、少しでも興味を持って頂けた方は、

7月26日から始まる、銀座ひのつみ画廊での個展に是非お越し頂きたい。

個展詳細記事はこちら↓↓

貴方のその眼で、私がどのように、風景と向き合っているのかを確かめていただきたいのだ。

また、

ご質問やご相談も常時受け付けております。

お電話

08065188741

又は

メール

chuubi14@kururi

にお気軽にご連絡下さい。

さらに、詳細をお伝えいたします。

パッと自分のなかに浮かぶ大切な風景のイメージを一言、お伝え頂く。

そこから、始まる貴方にとって大切な絵画があります。

今、この瞬間、心を揺さぶるなにかが生まれると信じてー。

「今」を生きるということ

皆さんは、日々、様々な悩み、葛藤、何らかのくすぶりを抱えていらっしゃることだと思う。

私もそうだった。

だから、最初から画家として生きてなどなかったし、自分が画家になると思ってもいなかった。

けれど、今、こうして、生き方として、画家を選ぶことに決めた。

そのことがとても不思議だ。

けれど、どこか必然のようにも感じられる。

これからは、心軽やかに、まっさらな心で、人にも、風景にも出逢える気がするのだ

本当は、ずっとこうしたかったのだ、気づくまでに、どれほどで足踏みしていただろう。

それでも、「今」この決断を選択できたことは幸せなことだと思う。

「自分の心に素直に向き合って生きる。」

ただ、これだけのことが、なんと難しい世の中だろうか。

誰にでも無限の可能性は広がっていて、自分で思考や心に蓋をしている場合がほとんどで、

そのきっかけに出逢うか出逢わないか、そして、一歩踏み出すか踏み出さないかの違いなのだと思う。

けれど、本当に自分の求めているものが、微かな声が、ずっと響いているのなら、どんなに遅くてもいい、

いま。この瞬間が、決断するときだー。

心の、一歩、その先へー。

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