万葉故地 高滝
"the native land of Manyo ,Takataki" (sketch)
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高滝という場所に出た
昔見し象の小川をいまみれば いよよ清(さや)けく なりにけるかも
吉野中千本から水分神社までの登り道は、登山客も多いが、そこから高滝、宮滝に続く山路を行く人はついぞ見ず。
ここは、万葉故地の中でも、一際昔の面影そのままに、ひっそりと清らかな流れのままである。
山路に射す光、黒々とした陰翳と、苔むす巨岩の折り重なる滝壺。
天武天皇も、聖武天皇も、吉野行幸の際、この山路を通ったのだろうか。ー
この歌を詠んだこの大友旅人も、旅の最中に、どれ程ここのせせらぎの清けさに心奪われ、癒されたことだろう。
彼は、晩年は長らく九州へ赴任し、亡くなる一年前に大和へ帰還したが、ついに再びこの川を見る事叶わず没した。
私は、現代に生まれ、一日かけて吉野の山を歩いたが、
その距離は古人が飛鳥の宮から、あるいは京の山城から吉野へと、いくつも山を越えた道のりには遠く及ばず、
その困難さのいくばくかも体感することはできていない。
それでもー。、ここに息づく空気は、一旅人である私に、ここを通った幾千の万葉人の心に寄り添わせ、語りかけるようだ。
梢も、滴る岩壁も、そんなものは関係ないと、やさしくそこに流れている。
___わが命も常にもあらぬか昔見し象の小川を行きて見むため__
かつて若かりし頃の吉野行幸が忘れられず、晩年の旅人はこう詠んだように、
私もまた、この象の小川の清けさをまた感じにゆくために、生き延びたいと希ってしまったー。
目を閉じると、あの苔の緑の瑞々しさと、流水の飛沫と、岩肌の感触が伝ってくるー。
あぁ、旅人よ、万葉の旅、古代のひとの心は、この岩壁の濡れた肌に残されている。
幾千年を経ても決して消えぬ、ひとの情”こころ”が、しかと、此処にー。