映画「鬼滅の刃」を見て人生が変わった話

(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

先日、機会があり現在、話題沸騰中の映画【鬼滅の刃 無限列車編】

を観賞してきた。

泣ける、感動する。

そんな前評判を散々聞き、まぁそこまでじゃないだろうと斜に構えて観に行ったのに、

見事に号泣し、様々なことを考えさせられた。

教員を続けながら絵を描くか、退職して絵描きの道を追求するかという重い選択。

この1年ずっと悩み続けてきた。

私はこの映画を見て
ある一つの決心がついた。

それは、何が起きても絵を描く道を突き通すということだ。

仕事を理由に、もし画業を続けられないのであれば、現職を辞める覚悟を持とうと、決心したのである。

別に特別鬼滅の刃が好きだったとか、ものすごく登場人物に感情移入していたとかそういうわけではない。

でも、なぜか、強く心に刻まれた__。

今日お話することは、のちのち、わたしの人生を変えたターニングポイントを綴ったものとして、

きっと生涯残り続ける、特別な記事になる気がする。

ぜひ、少しだけお付き合い頂きたい。

《以下、映画及び原作あらすじの内容のネタバレがあります。ご注意ください。》

誰しも楽な道を選びたい。

(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

鬼滅の刃は、なかなか残酷でショッキングな作品だ。中高生で爆発的な人気を得ているのが不思議なくらい。

主人公の竈門炭治郎は、ある日妹の禰豆子以外の家族を全員殺され、唯一生き残った禰豆子は人を喰らう鬼となっていた。

鬼となった禰豆子を人間に戻すため炭治郎は、血の滲む鍛練を重ね、鬼殺隊と呼ばれる鬼と闘い人々を守る組織に入り、闘う。

主人公をはじめ、鬼殺隊の中でもトップの強さを誇る「柱」と呼ばれる剣士たちは、化け物じみた凄まじい精神力と覚悟、強さをもっている。

まさに架空のキャラクターで、自分と交わる部分などない、

別次元の存在だと理解していた。
しかし、映画のなかでそんな彼らの人間らしさが垣間見える場面があったのだ。

それは、敵の術におち、自分がもっとも幸せだった頃の記憶の夢を見させられ場面。

家族と幸せな時間を過ごすなかで炭治郎は、少しの違和感を感じながらも、安寧の中に身をおきつづけた。

家族が殺されたことも、鬼殺隊に入ったこともすべて悪い夢だったのだとすっかり安心する。

そして、ついにそれが夢だと気づき、現実に戻らなければというとき、

彼は現実に戻ることを躊躇したのだ。

弟に「兄ちゃん行かないで」と言われ、彼は思わず振り向きそうになる。

幸せな家族との時間、ここにいれば楽になれる。彼は、心底うらめしそうな声で

「あぁ…ここにずっといたいなぁ…」

ともらす。

この声が、凄かった。彼のまぎれもない本心があらわれていた。

どうしても、ここから離れたくない。

そう叫んでいるようだった。

絞り出すような彼の声が今もはっきりと脳裏に焼き付いている。

振り返りそうになり、でも拳をにぎりしめ、歯をくいしばる。その時間が、とても長く感じられた。

しかし、それを必死にふりきって、己を震いたたせ、修羅の道へ進むことを決意する。

その一連の描きかたがとても心に残った。

強い精神と肉体をもつ彼にも、私たちと同じような、安住と安心を求める気持ち、迷う気持ち、弱い気持ちがあった。

留まるか、進むか。

悩み、葛藤する主人公は、まさに教員としてこのまま仕事を続けるか、思いきって退職してレールのない道を進むか。やめる。やめない。この二つの間で揺れている自分の姿だった。

彼が弟の声をふりきって走り出したあの一歩に、わたしは確かに勇気をもらった。

現在、正規の中学校教諭として働く私が、このまま働けば、一生安定した生活と貯蓄が手に入る。

けれど、それでは自分の追い求めたいことを犠牲にするしかない。

本当にそれでいいのか?

どこからともなく、声がした。心にそっと囁かれた。

じゃあ、どうする?

振り返り、戻るのか、ふりきって、すすむのか。

道はふたつにひとつだ。

人間は死ぬ

当たり前のことだが、人間は必ず死ぬ。

この事実を改めてこの映画には突きつけられたのだ。

首を切らないと死なない、すぐに再生し、年をとらず永遠に生き続けることのできる鬼との対比によって人間の儚さが克明に描かれているのだ。

その最たるシーンが炎柱煉獄杏寿郎の死だ。

彼の死に様に、もうひとつわたしの決断を後押しした理由がある。

煉獄は無限列車に巣食った強力な鬼をくいとめ、驚異的な強さを発揮したが、さらに桁違いの強さをもつ上弦の鬼に奇襲され、闘いの末、死亡した。

あっけない。実にあっけない。そう思った。

エンドロールの最後の映像に映ったのは煉獄の折れた刀。

もちろん、煉獄は見事だった。本当に見事な闘いぶりだった。

彼は最後まで快活だった。炭治郎が大粒の涙を流しながらどうにか助けようとしたときも、顔色も表情も声も変えず淡々としていた。

死に際は普通声が小さくなったりかすれたり誰かにもたれかかったりするものだ。

しかし、彼は最後の最後まで変わらなかった。

冒頭で肉を食べながらうまい!とうるさく連呼していた時と全く同じ調子で、

助からん!俺はすぐに死ぬ!とあっけらかんと言い切る。

死の瞬間まで、一人でずっと体を支え続けていた。死してなお倒れることはなかった。

命の最後の瞬間まで、彼は少しも切ない表情も声も見せることはなく、普通に話していた。

その立派な死に様を見てもなお。なんだかとてもモヤモヤした思いがした。

ああ、人はこうしてなくなる。まだ才覚をのばせたかもしれない。可能性があった。

けれど死ぬ。可能性があっても、未来は絶たれる。

あっけなく道は終わる。

煉獄は、父に教えられ、鍛練し、柱になった。しかし、父は急に剣士をやめ、彼が柱になっても「それがなんだ」とそっけなく突き放し、それっきり。

それでも煉獄は柱としての己の生き方を貫くことを選んだ。

努力は父に認められず、頼るものはなく、亡き母の言葉だけを胸に、その命をとして死んだ。

かわいそう。ではない。しかし、こんなに強い人間も、こうあっさり死ぬのは、とてもやりきれない思いがした。

そのとき、
このような異次元の強さをもつ人間にも、そして凡人のわたしにも死は平等に訪れる
という事実を不思議に思った。

これはアニメの世界の話。登場人物は、わたしとはまったく違う。

けれど、死だけが、フィクションではなく、彼らと私との唯一の共通点であるということ。

彼は死に際、まだ存命の父を案じ、家族を案じ、そして先に死ぬことをまったく悔いることも、謝ることもなかった。

親より先に死ぬというのに__。

彼は自分の道を全うし、その結果死ぬことに一分の迷いもなかった。

まわりがどんなに悲しもうと、客観的にみて、やりきれない死でも彼の心はゆらがない。

心に炎を灯し闘い、そして刀は折れた。

エンドロールの最後の最後。映画の最後に映ったのは、折れた煉獄の刀だった__。

刀が折れるそのときまで

彼の死に様は、私に強いなにかを訴えかけていた。

わたしも、命潰えるまで、老後のこと、未来をどう過ごすのか考えるのではなく、

「今をどう生きるか、」
「どのように命を燃やすか

このことだけを胸に生きたいと、この映画を見て強く感じた。

そうして、それがいかなる道だったとしても受け入れ、歯をくいしばり、逃げずに己の絵描きとしての道をまっすぐ進もうと思った。

そのためには、中途半端はだめだ。教員という仕事を続けていては、ひとつの道を極めることはできない。

煉獄の強さをみて、彼の死をみて、わたしは自分にも必ず死が訪れるのなら、

どんなに残酷な結末が待っていようと、

どんなに辛い道のりだろうと、

未来が不安でも、生活が苦しくなったとしても

自分の求めるものから逃げずにまっすぐ立ち向かおうと思ったのだ。

ならば、修羅の道を進もう。

もう、振りかえらないと決めたのだ。

これからわたしの人生は大きく変わるだろう。

大きな勇気をもらった。

きっかけをくれたこの映画に深く感謝している。

不安は大きいが、心は晴れやかだ。なんだか不思議な心地だ。

地面、支えもない空間に放り出された気分。しかし、頼るものがなくても手探りで進もう。

そのための体。そのための心。命あるかぎり燃やして、死ぬと決めた。

さぁ、ここからだ。

(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

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