絵に正解はない。
絵を描く初心者を勇気づける言葉としてこのようなことを話す人がいる。
けれど、なにも目指さなくてよい、何でも良い、で本当に良い絵が描けだろうか?
答えは否だ。
本日は「絵に正解はない。」この言葉に隠された本当の意味について皆さんに話そうと思う。
確かなものなんて、どこにもない。
世間一般でいわれている「絵に正解はない。」という言葉は、本当だ。
皆さんもあんなののどこがいいの?と思う絵が高く評価されていることに疑問をもったことがあるのではないだろうか。
わたしもある。だからこそ、社会のなかの絵画の評価に正解はどこにもない。
そもそも、世の中に正解なんて呼ばれるとのがあるだろうか?
ニュースもネットの情報も、どれだけ正しいと言えるだろうか。
因みに私は基本的にそれらの情報を信じてはいない。ただ、ひとつの情報として受けとっているだけだ。
誰かの主観によって操作されているかもしれないそれを、疑いもせず信じてしまうことほど怖いものはないと考えるからだ。
しかし、そうであっても、答えや正しいものを私たちは求めてしまう。
絵画も同じだ。
確かなものなんてなにもない。絵の描き方、売り方、画材、テ-マ。全ては自由だ。
そこに、正しい手順や効率的な方法を求めることは自然だ。
しかし、実際にはそのようなものはどこにもない。参考にはなるが、それが正解かどうかの保証はないのだ。
絵に正解はない。けれど...
その正解がない世界で絵描きが生き延びる道は一つしかない。
それは、
正解を追い求める力
をもつことである
単純な画力でも、センスでもない。
どんなにうまくかなくても、イメージを追及し続け、自分のなかの正解を見つけようとする姿勢だ。
正解なんてない。だったら自由に、好きにつくればいいじゃないかと思うかもしれない。
けれど、いい感じにできているな。うまくいってるな。
そういうときに、
本当にこれでいいのか?
そう自分のなかで問答し、絵を変えられるか、壊せるかどうか。
そして、またそこから創りだせるかどうか。
その行動を起こせる人が、本当の正解をてにいれるだろう。
正解はなくとも、正解を追い求めようとする心と行動が必要なのだ。
積極的に周り道をせよ!
自分のなかの正解を追及すること、これじゃない、あれじゃない、と周り道をしながら、がむしゃらに正解を求めることに意味がある。
その先には、まわりがどんなに変化しても動じない一本の軸が自分のなかに生まれる。
かくいう私は、自分の中の正解はある程度見えてはいるが、まだまだ求め、精査していくつもりだ。
さらに洗練させ、磨き上げ続ける。
正解を追い求め、ひた走る。
絵画においては、正解がないという前提のなかで、そのなかに甘んじることなく、
自分で正解をつくりだすのだ。
これが自分のなかの正解である、
と自信をもって言えるその日までひたむきに泥臭く努力することだ。
それが、「絵画に正解はない」という提言に対するひとつの答えである。