先日の記事で、「自分探しの旅」のお話をした。
わたし自身、一人旅に出て、心動かされ、新しい自分に出逢うことがたくさんあった。
そのなかでも、特に、自分の心の芯の部分にささる出来事があった。
それは、「自分の憧れる生き方」との出逢いであった。
みなさんには尊敬する人、憧れの人はいるだろうか。
わたしは特にいなかった。好きな画家や作家もいたし、哲学者の考えに共感もしたが、「自分は自分である」のだから、その人と同じように生きることはできないし、したくない。
影響を受けることはあってもまったく同じ生き方はしたくない。
自分の生き方ぐらい、だれの真似もしたくない。そう思っていた。
だからといって、自分がどのように生きていくのか、どんな人間になりたいのか、
そういうものが自分の中で定まっていなかったわたしは、漠然となにか生きる指標、憧れをもちたいと感じていた。
そういうことを考えること自体も難しく、答えを見つけるのはもっと難しいと思う。
そして、それを自分の軸として、ぶれずに貫くことも。
それでも、自分が生きる上で変わらない軸、そういうものがあれば、素敵だと思っていた。
そんなわたしは、ある旅で唐突にこんなふうに生きたいと心から思える対象を見つけることになる。
しかも、生涯この精神を貫きたいと思うほどの衝撃的な出会いだった。
結論からいうと、その影響を受けた対象は人ではなく、風景だった。
旅のなかで京都の北山杉の木立を見て、わたしはその姿に強烈に憧れを抱いたのだ。
あこがれる対象が風景?とみなさんの頭上に疑問符が浮かんでいるだろうか。
では、順を追って話そう。
北山杉との出逢い
それは、日本画家の東山魁夷氏の描いた「京洛四季」という京都を描いた画集の、描かれたモデルの場所を訪ねる写生旅行に出た時のことだった。
当時東山氏の風景画に魅了され、本当にこのような美しい風景があるのか、確かめたかったのだ。また、東山画伯の見つめた風景をわたしも追いたい、描いてみたいと思った。
そんなわけで、わたしはその京洛四季のひとつ「青い峡」※のモデルである北山杉の風景を訪れたのだ。
※「青い峡」
このとき、わたしは前述したように東山氏が描こうとしたものを知ろうと、実際の風景を確かめようという気持ちで赴いた。
しかし、不思議なことに実際に訪れてみると、それは、まったく違う目的にすりかわってしまった。
なぜなら、その北山杉の姿があまりに美しかったからである。
東山氏の描いた北山杉ではなく、自分の視点から見た北山杉の魅力に取りつかれてしまったのだ。
初めて北山杉を目にしたとき、あまりに現実感のない光景に驚愕した。
わたしのよく目にする杉林の風景とはまったく異なっていたからだ。
実際にご覧いただこう。
いかかだろうか。
木の一本一本は、幹以外の枝を綺麗にそがれており、その木肌は白く、細く、まっすぐに天に向かっている。その一本一本が凛としていて、深い林の奥の暗がりとの対比で真白に輝く
白い幹は、その杉木立は、まるでハープの弦のように規則的に、かつリズミカルに連なっているのだ。
自然の風景から学ぶこと
実際に北山杉を育てている方からその歴史や育成工程を聞くと、知識とともにさらに尊敬と憧れは深まった。
一本の木を育成するのに30年かかること。
細すぎる見た目に反して通常の太い丸太よりも年輪の間隔が狭く、びっしりと目がつまっているため、山間の厳しい気候、大雪や風にさらされても折れないという。
厳しい自然の中で何十年も、美しく凛と立ち続ける。その姿に強烈な憧れを抱いた。
しかも、その幹はたくさんの木立の中で決して埋もれることはなく、一本一本の個性が際立つ。しかし、だからといって主張が過ぎることはなく、その一本一本は規則正しく立ち並び、山全体の調和も生んでいる。
北山杉のように生きたい、。本気でそう思った。
凛として静かに、調和して、しかし、決して埋もれることもないその立ち姿。
「和して同じぬ。」
この言葉を、北山杉の姿に重ねた。
わたしも、自分の考えや感性を大切に、まっすぐ凛と生きたい。しかし、その個性を前面に押し出すのではなく、全体の調和のなかで輝きたい。
このようにして、
わたしは、確かにこのとき、
自分というものの生き方の軸を、北山杉との出逢いによって見つけた。
北山杉の山が、人の社会の姿と重なった。そして、わたしも、社会もこうあればよいと思ったのだ。
自然の姿に人や社会の姿を見いだす。逆もまたあるだろうか。
人と自然の生き方がまじわるとき、そこには新たな発見と学びが生まれるかもしれないのだ。