わたしは、先月自身初の公募展、長野の萱アートコンペに参加した。
そこで、作家の方々とお話する機会を頂いたのだが、そこで
「教員の作品はつまらなくなってしまうことが多い」
という話が出た。
どきっとした。
そして正直焦った。
あぁ、自分はそうなりたくないと心底思った。
私は、そのとき自分が教員だということを言いそびれて、その後カミングアウトしたらとても謝られたのだが、その一言はとても核心をついたことのように思え、
不快な気持ちには全くならなかったのだ。
元教員でデザイナーさんに転職した作家の方にお話を伺う機会もあり、
わたしが教員を辞めたいという話をすると、
「自分は縁があって就職できた。人生意外となんとかなるよ」
と話をされた。
「人生何とかなる」という現役の作家さんの言葉。
このままでは自分の感性が死ぬのではないかという焦り
この二つが私の教員を辞めて画家として生きたいという気持ちを加速させた。
転職活動をして気づいた自分の気持ち
夢のため、アーティストとして生きるため。
このままではだめだ、という気持ちが強くなり、さらに、前回の記事の、人生を変える出逢い
にも後押しされ、
教員を退職すると決めた。
そして、「善は急げ」と思い
今年度退職するなら今動くしかないと、急いで派遣の登録、企業への転職活動をはじめた。
とにかく教員よりも心身が疲弊しない職業を選ぼと思い、まずは不動産事務の面接を受けに行った。
しかし、そこで一通り志望動機を伝え、面接官に放たれたのは、
「あなたの能力はうちの会社では生かせない。転職するなら美術系の会社が良い」
という痛烈な一言。
続けていわれたのは
「あなたは福利厚生や待遇面を見てこの仕事を選んだと思う。不動産の仕事に興味があったわけではないでしょう?」
…おっしゃる通り。ぐうの音も出ない。
私は、とても恥ずかしい気持ちになった。穴があったら入りたいとはこのことだ。
もはやこのとき、不採用かどうか、そんなものはどうでも良くなった。
そのとき、わたしの頭にひたすら巡っていたのは
自分がいかに無知で世間知らずだったのか、
ということだった。
新卒でストレートで採用試験に合格して、教員しか経験していない。フリーターも、派遣も、企業の正社員も経験していない。
そんな私が、教員は大変だからと、お金のために仕事をするとわりきって全く違う職種に移ることがいかに考えなしだったか。
仕事を、舐めるな。
そう言われた気がした。
もう一度振り出しに戻ったきもちだった。
やっぱり私は教員を辞められないのか…
あ、。そういえば、と思い出す。
最近職場でストレスはなくて、ちゃんと絵を描けてたこと。
人間関係でも悪いことはなにもなく、同僚の方は皆優しくしてくれていること。
むしろ、履歴書を書いたり、企業と連絡をとったりすることのほうがストレスで暴食したり散財したりしまったこと。
それらを思いだして、じゃあ、何が不満だったのだろう?と考える。
そうだ、未来だ。
今は良くても、だんだん教員は仕事や責任が重くなって業務量が増えていく。そうすると絵が描けなくなる。
そのことを恐れたのだ。
ならば。
現状に不満がないのならば。
今、辞める必要はないのではないだろうか。
と思いいたったのだ。
わたしは、絶対自分の感性を殺したくない。
長野で出会った方が言う通り、時間がたてばたつほど、その閉鎖的な社会に慣れ、狭い価値観に染まってしまい、感性が死に、作品も終わっていくだろう。
でも、あの面接を経験して、企業というもののの実態を間のあたりにして、雇ってもらうことの現実、食っていけないことの現実を思い知らされた。
「人生何とかなると」とはいっても、
正規の教員であるわたしが、縁も転職先もなく、闇雲にフリーターなるのはいくらなんでも無謀すぎると考えた。
自分が美術や教育系以外の部分で生かせる資格も、スキルもない現状。
そして、フリーターも経験していなくて、安定した稼ぎのなかでかし生活したことのないわたしが、果たして急に給料や待遇がおちてこのまま夢を追えるだろうか。
行き当たりばったりで仕事を辞めても、仕事はない。画家としての稼ぎもない。バイトだけで食べていくなら絵も描けなくなる。
それは、現状一番まずいことではないのか。
だったら、どうする?
わたしは、ひとつの結論にいたった。
人生なんとかなるは一面では本当で、一面では嘘だ。
私は、勢いだけでいけると本気で思った。
今まで、ずっと学生の頃も思いたったら旅に出て、なんとかなっていた。
でも、それは学生までの話。大人になったらお金と生活の問題は避けて通れないのだ。
その先の生きていける見通しがまったくないまま無計画に辞めたら。
そこまで考えて、また一つの決断をした。
それは、
今すぐに教員を退職するのではなく、ひとつの目標を定め、そのための準備期間としてあと五年、つまり30で辞めるという計画だ。
感性が死なないだろう30歳を過ぎる前に辞める。
焦らずじっくり年数を重ねて、冷静に、着実にじっと夢の準備をすること。(この具体的な準備の内容についても、別の記事でお話したいと思う。)
サナギが蝶になるのをじっと我慢して栄養を蓄えるように。
ただ、先伸ばしは絶対にしない。この期限を守ると決めた。
それを過ぎたらだめな気がする。だからこそ勝負に出ようと思った。
どんなに仕事が良い感じで慣れてきたとしても、準備がうまく進まなくても、ずるずるといつまでも、だったら結局辞められない気がする。
ここまで、と決めてすっぱり切る。そして飛び立つ。
きっと、想いがあれば感性は死なない
ここまでくるのに紆余曲折あって、恥も外聞も捨ててきた。
色んな人の話を聞き、悩みになやんだ。
でも、それでよかった。
ここまで格好悪くじたばたして、
ようやくまたひとつ心が決まった。
私は、もしかしたら何があっても想いが消えないタイプかもしれない。
なぜなら、私がここまで、衝動的に辞めたいと思い、そして辞めるために行動したことは、それだけの想いがあったからだ。
今の立場をすぐにでも捨てたいという強い心があるうちは、逆に今の立場を守り続けてよいのかもしれない。
今の立場に安住してもいいかな、と思いはじめときが感性が死ぬとき。その時までは、きっと、大丈夫なのではないかーーー。
不安はある、それでも自分を信じたい
五年間、きっと様々なことがあるだろう。
それで意思が揺らぐようであれば、その程度の覚悟と想いだったということだ。
そう、教員を続けながら絵を描こうと思うかもしれない。趣味程度で良い。そう思うようになる可能性だってある。
それは、なにも悪いことではない。夢半ばにそれを諦めるというのは、否定的な意味ではなく、むしろ違う人生の選択をしたということだ。
大事なのは、常に自分にとっての幸せとはなにか考えつづけ、その幸せを叶える最善の選択をすることだ。
だから、今現在、叶えると決めた夢も、途中で生き方や大事にしたいことが変わればもちろんなくなる可能性がある。
例えば、今、わたしは絵に命を捧げたいと考えている。結婚することも諦めている。子どももいらないと思っている。
(私の子どもは、わたしが生み出す絵だと本気で思っている。)
けれど、人生にはなにが起こるかわからないから、大恋愛をして結婚をして、絵よりも子どもが大事だと思うことがあるかもしれない。
でも、それはそれなのだ。
とはいえ、今、この瞬間、この決断がはったりではなく、現実のものになると信じている。未来を見据えた願いであるとーー。
どうか、この大切な想いが消えませんように。
それだけの強い想いだと、今は自分を信じてあげたい。
真っ直ぐに、自分のこの想いが本物だったと証明できるように生きていきたい。
心のなかに秘めた青い炎を燃やし続けながらーー。