今回の個展開催にあたり、ひとつだけ、皆さんに、どうしてもお話しておきたいことがある。
それは、わざわざこの時期に、この地で個展をひらかなければならなかった理由である。
本展示《晩夏の詩》は、京都美山の芹生の里への旅路を一連の風景連作としたものである。
展示風景
みなさんは、こう思わないだろうか。
7年前の風景を、何故今更連作として、しかもコロナの大変な時期の個展で発表するのかー?
私は、7年前、初めてこの里を訪れた。
以来、何度もきたる秋、冬、と赴こうとしたが、そのたびに、この地は倒木、深雪、台風による被害に見舞われ、赴くことは叶わなかった。
貴船から芹生峠までの道のりは、一昨年の台風の甚大な被害により、2年経った現在も復旧作業が未だ終わらず、長く閉ざされたままなのである。
そして追い討ちをかけるようなコロナウイルスの蔓延ー。私にとって大切な場所は、どこまでも遠い場所になってしまった。
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そもそも、個展をやるというのは、よっぽどのことだ。
そう、《必然》が必要なのだ。
私が今の今まで個展をやらなかったのは、その必然に、まだ到達してなかったからだ。
だから遺さなかった。
けれど、このようなことになって、初めて私は個展へと突き動かされていったのだ。
だから、今回の一連の風景13点は、すべてこの1ヶ月で描き切った、新作のみである。
もう2度と見られないかもしれないー。そういうものを、後世に遺したいと願うことは、自然の感情ではないだろうか。
そのことに気づくのに、7年という歳月が必要だった。
なぜなら、以前は、こんなことになるなんて思ってなかったのだから。
いつでも、また見に行けると思っていたのだ。
けれど、その想いは過ちだったと気づいた。
この7年間がなければ、その想いは生まれなかった。
だから、このタイミングだったのだ。
だから「今」、やらなければならなかった。
そう、この個展は、ただの風景画の展示ではない。ただの一個人の初個展ではないー。
行きたくても行けない場所がある。もう一度だけ味わいたいと願う大切な風情がある。
あのとき、確かにあった美しい情緒を、遺さなければならないと思った。
この、京から遙か遠い東京の地から願いをこめて、詩を紡ぎ、絵を描いた。
もう戻らない時を、場所を哀しみ、もどかしい想いを抱える全ての方に、
このひと夏の旅の詩(うた)を届けたいー。