記憶は決してなくならない。思い出されないだけだ。

「思い出す」ことの重要性

みなさんには、過去の記憶が呼び覚まされた経験があるだろうか。

過ぎ去って行く日々のなかで自分の昔の経験がふっと現在とつながる瞬間__。

わたしたちは、これまで生きてきて、小さなことから大きなことまで数え切れないほどの経験をしているはずだ。

けれど、その感覚や感情は、一瞬で過ぎ去って、もう二度と思い出されないものがほとんどではないだろうか。

たとえば、わたしはこれまでたくさんの美術作品を見てきたりしたが、そのなかではきっと一度見たきりで思い出されない作品や展覧会もたくさんあるとおもう。

そうやって自分が経験したものが次からつぎへとこぼれおちていく感覚は寂しい。

でも、だからこそ、その中でこぼれ落ちないでつながるものを探すことに意味があるのだ。

過去と現在がつながる瞬間

わたしはそれを身を以て実感したことがある。

去年青森県立美術館を訪れ、

「こどもの教育と建築展」という企画展をたまたま見たときのことだ。

そのなかで、わたしは自分が今まで見聞きした記憶の欠片が呼び起こされる感覚をいくつも味わった。

そこには、ある教具の展示があった。

それは、大学の教育学部の座学で学んだものだった。

本当にどんなものかよくわかってなくて、名前だけ暗記していただけだ。

けれど、名前を覚えていたから実際の実物を目の前にして、ああこういうものだったのか、と妙に感動した。

たまたまだったけれど、自分の何気なく学んできた知識が繋がった瞬間だった。あぁ、これのことだったのか、と、すっとその目の前に飾られているものが心に入ってきた。

みなさんも暗記することが沢山あったと思うが、なんでこんなの覚えなきゃいけないんだ?と思ったことはないだろうか。

たぶん、こういうときに改めて深く理解したり、思い出すきっかけになるからだと思う。

用語すら知らなかったら、調べようもないし、知るきっかけもないのだから。

次に記憶が甦ったのは、学校校舎の写真展のフロアだった。

何年も前に何気なく録画して見たテレビ番組に出てきたある建築の映像。

そのときの、食堂の設計の、天井の高さや梁の落ち着いた茶色や、イスとテーブルの格調高いモダンなデザインが心に残っていたのだが、

目の前のパネルには、あのとき見た映像と同じ写真が張られていて、わたしはその校舎の名前を思い出した。そこで、もっと知りたいと思い、その場で書籍まで購入した。

他にも、作品だけでなく青森県立美術館自体の建築を見て、

採光や屋根の高さ、建物の梁の形。家具の配置や構成など、色々発見があった。

建築を私は専門的に学んでいたわけじゃないのに、これらの視点を持っていたのは何故だろうと思ったら、


そういえば、小学生の頃はTV番組の「劇的!ビフォーアフター」※を何となく欠かさず見てたから、もしかしたらそういう建築の要素を子供ながらにざっくり理解していたのかもしれない、と考える。

※古い家をより安心で住みやすい家に立て替える匠の創意工夫の一部始終を紹介する番組

このような経験があって、私が皆さんにお伝えしたいのは

みなさんが思ってる以上に、今見聞きしていることは記憶に残っている。

そして、それは思いがけないタイミングで呼び起こされる可能性がある

ということだ。

記憶というのは、なくならない。もし、なくなったというものがあれば、それはただ、

思い出すきっかけに巡り合っていないだけなのだ。

何気なく見ていた映像のひとつひとつ、何となく暗記していた情報のひとつひとつが、どこかの瞬間で、なにかのきっかけによって

ああ、「そうか」

と、唐突にわかる瞬間がある。

もし、あのとき、何気なくTVを見てなかったら?大学の授業をサボっていたら?

きっと、同じものを見てもこんな新鮮な感動と発見はなかったはずだ。

あの経験があったからこそ、理解できたものなのだ。

今までそういうものに出逢ってきたから繋がることで、出逢っていなかったらわからないことだ。

いつ、どこで、どんな記憶が呼び覚まされるかわからない。

だからこそ、私たちは、これからも貪欲なにかに出逢い続けるのだ。

あなたの経験は何ひとつ無駄じやない


小林秀雄は、【無常といふ事】の中で、上手に思い出すことは非常に難しいといっている。

※以下引用

上手に思い出す事は非常に難しい。だが、それが、過去から未来に向かつて飴のように延びた時間といふ蒼ざめた思想(僕にはそれは現代に於ける最大の妄想と思はれるが)から逃れる唯一の本当に有効なやり方のように思へる。

小林秀雄【無常といふ事】

ここで小林氏が言う「上手に思い出すこと」とは、しっかり「体験」することだと私は考える。

なぜなら、それは自分の過去が生き返る瞬間。今まで生きて体験したことがちゃんと糧になってるってことに気づく瞬間だから。

出逢いというのは、いつだって唐突で、わたしたちの想像を越えてやってくるもの。

だから、生きている限り、そういう出逢いは起こり続ける。

自分で勝手に無駄だなんて思ってはいけない。

どんなことでも、つながる可能性がゼロなんて、ことはあり得ない。

一生思いだされないこともあるだろう。それはしかたない。

でも、真摯に生きていれば、また必ずなにかを思い出すことができる。

だから、わたしたちは恐れずに経験しよう。

たくさん見聞きしよう。

そして、これからの出逢いのなかで、少しでも多くの時間が繋がっていけばよい。

バラバラに散らばる点と点がつながり、線になるように、__。

小林秀雄のいう時間という幻想を乗り越える唯一の方法、現在と未来をつなぐって
こういう経験のことなのかもしれない。

そういう経験を少しでも多くすることが、人生というものを豊かにするひとつの鍵ではないだろうか。


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