よく、人から「絵を上手く描きたいけれどどうすればいいのか」と質問されることがある。
その質問に対して私はいつも、例外なくこう答えている。
「絵を上手く描こうする気持ちを捨てましょう」と。
なぜそのようなことを言うのか、今日はそんなお話をしようと思う。
上手く描きたかった大学時代
「絵を上手く描けるようになりたい。」
絵描きなら一度は思うことではないだろうか。
私も、大学で美術を専攻してた頃、そのような気持ちが強かった。
例えば、入学して最初の実技授業で課された石膏デッサンの講評のときの話だ。
デッサンの講評では、イーゼルに立て掛けられた作品を教授が横一列に並べる。真ん中の作品が一番評価が高く、隅にいけばいくほど評価か低いという決まりだった。
その時、同じ学科の誰よりも居残りして必死にかきあげた作品が、一番隅のほうに並べられた。
本当にショックで悲しく悔しい気持ちでいっぱいになった。
同じ学科の子達よりも自分の実力があることを誇示しようと頑張ったのが見事に失敗したわけだ。
これだけ努力しても私は仲間たちよりも下手である。彼らが自分の何倍も技量があることを恨めしく思うと同時に負けたくない、もっと頑張ろうという気持ちになった。
ここまで聞くと、もしかしたら皆さんはここから私の努力が少しずつ実り技術が上達していくと思われるかもしれない。
しかし、
成績はまったく上がらなかった。
一年以上もの間、少しでも成績をあげるため、上手く描こう、上手くつくろう、と寝る間も惜しんで必死に課題に取り組んだ。
それでも、やはり実技だけは伸びなかった。(ちなみにレポートや鑑賞などの課題はいつも悪くない成績だった)
実際、必死に時間をかけてやっている割に、冷静に自分の作品を見ると、雑というか、焦りのようなものがにじみ出てたように思う。
そんなわけで、もう、面白いくらいに成績は横ばいのまま一年が過ぎ去り、あっという間に2年の後期(10月頃)になった。
その頃になるとさすがに、
「自分は技量がないのだ」
「もう実技の成績にこだわるのはやめよう」
と諦めの気持ちが出てきた。
この時期は3年生から所属する研究室を決めなければいけないのだが、もはや絵画や彫刻の実技系の研究室はやめて、美術史や美術教育学など論文系を専攻しようと考えていた。
ところがどっこい、
なんと、この「どうでもいいや」と投げ出した気持ちが、この後、私の絵描き人生の第一歩を歩ませることになるのだ。
きっかけは、一枚のデッサン
そんなこんなで迎えた2年後期のある絵画の授業で、静物の細密画の課題が出た。
これがそのときのモチーフの画像だ。
私は眼前のモチーフを眺めながら、ひそかにある決意をした。
それは、
"とにかくこの課題を楽しもう”
ということだった。
今まで、私は課題に取り組むとき、いつも人の評価ばかり気にして、上手い作品をつくることしか考えていなかった。そして、結果が思うように出ずいつも苦しんでいた。
だから、もう課題で苦しみたくない、頑張るのはもうやめようと思った。
うまくかけなくてもいいから、とにかく自分のやりたいように楽しんでこの制作を終わらすことを心に誓った。
まあ、半ばやけくそだったわけだが、(笑)
そういう気持ちでモチーフを改めて眺めたとき、
ふと目の前の植物の葉がとても魅力的に見えた。
自然物ならではの繊細な葉のシルエットを純粋に「美しい」と感じた。
小さい鉢から、思い思いの方向に、細長い葉が天に向かってたくましく伸びる様子に、もしかしたら自分の心境を重ねたのかもしれない。
よし、これを描いてやろうと思った。その植物を構図の中心におき、夢中で描いた。
__楽しかった。
気が付くと、まわりのモチーフも不思議とするするとかけていた。
そうして特にストレスもなく描き切った作品は、。
今まで描いたどの作品よりも素晴らしい出来だと思った。
ちなみにこちらが実際の作品だ。
いかかだろうか。植物の葉の動きになにかを感じていただけるだろうか。
ちなみに、この作品は、大学の実技の授業で初めての「秀」(5段階評価の一番上)をもらうことができた。
この体験をきっかけに、初めて絵画制作というものに手ごたえを感じた私は絵に対するコンプレックスがかなり払拭された。
絵を描くことの喜びのようなものを初めて知ったのだ。
そこから、「自分がどこまで描けるか試してみたい」という想いが生まれ、論文系と迷った末に、絵画研究室に入ることにしたのだ。
(まあ実はその研究室に入ってからもまた想像を絶する苦労があったわけだが・・・)
そして、紆余曲折を経たが、現在、またこうして絵筆をとることができたのだから、実質あのデッサンが私の絵画人生のスタートだったのだと思う。
「絵をうまく描く」ってなんだろう
今、再びあのデッサンを想いかえすと、
なんの雑念もなくモチーフと向き合い、純粋にモチーフの魅力を見つけ、モチーフを見ること、描くことを楽しんだからあのように描けたのだと思った。
描く対象を、あるいは描くこと自体を愛せるとき、絵はきっとうまくいく。
逆にいえば、いくら絵をうまくかこうと思っても、そこに愛がなければ、きっとダメなんだと思う。
わたしは、まだまだ絵がうまくない。でも、うまくいくときもあるのだ。
それは、いつだって、あの「1枚のデッサン」のときのように、夢中でモチーフに向かっていけたときだけだ。
だから、私はこう思う。
絵をうまく描く秘訣。
それは、描くことに純粋であろうとするように、自分の心の鍛えることだ。
わたしは今でもしょっちゅう、
「ああうまくいかない」、と制作中に頭を掻きむしりたくなるとき
その度に「そうじゃないだろ」と心に言い聞かせたいと思う。
ちょっと油断するとすぐに顔を出す、自己顕示欲とか、焦りとか、そういったもの。
それらをなくして、純粋に、描くことを愛することができるように、今日もわたしは己の心と闘うのだ__。