絵が売れる。
これは一つの自分の絵の価値をはかる指標であることは間違いない。
ただ、絵が売れた人の作品をみて、良いなぁと想う反面、わたしは本当に絵が売りたいのか?と疑問をもったりする。
きっかけは、先日。
現在、みなとみらいギャラリーで開催中の冬の藝術展ひ出展しているのだが、
なんと、ブログをみて絵を見てきてくださった方がいたと聞いたのだ。
それはそれは驚いた。私はその方とはお会いすることはできなかったが、しみじみそんな風に繋がることがあるのかと感じた。
そういえば、吉祥寺で展示やったときも、お金がないけど、絵を本当に気に入ってくれて、いつか買います!と言ってくれた若者もいた。
そう、
絵と鑑賞者が
「出逢うこと」。
それが1番大切なことではないか。
さまざまなきっかけによってその時、その場に足を運び、その絵の前に立つこと。
その時でなければ、その絵でなければ生まれなかった何か。
そういう一期一会が何か大切なものを紡いでいく気がする。
向き合うこと。それによって忘れられないなにかを得ること。言葉にならない時間。充足。絵の前に立つこと。
想像すること。感ずること。考えること。なによりも大事だ。
そういうとき、人はもっとも自由ではないか。精神の充足。開放、、。
うまく説明できないが、絵が買われるよりも、ずっと飾られなくても。その一瞬の出逢いが人の人生を変えるかもしれない。
それに、買われる絵と眺める絵はまた違う気がする。
いわゆる、「用途」として絵を買われることもある。
これはここに飾りたいとか、似合うな、とか空間デザインやインテリアを意識したような作品は、需要があると思う。需要がある絵は売れるのだ。
例えば展示会場で、売買が決まっていたこちらの作品。
これは私もリビングにあったら心があったかくなるだろうな、と欲しくなる。小さなお子さんがにも親しまれるだろう。
また、この作品。
こういう、明るい青や翠の爽やかな色彩、空や新緑や紫陽花の絵。病院やケアハウスにいいだろうなと感じた。
こちらの作品は額も含め、渋さのなかにきらりと光る高級感があり、これは書院造の床の間などに飾りたいな、とか感じた。
それに対して、私の作品。
これは、どこの空間に似合うかと言われたらよくわか、ない。
私の絵は、きっと空間を彩るものではないのだろう。けれど、みる人が純粋に向き合い、対話する時間を与えることができる作品ではないだろうか。
名も知らぬ、わたしの絵をじっと絵を見て下さった方は何を想いを思い、感じたのだろうか。
わからないが、こういうひとつの出逢いがあるから、私は絵を描こうと想うし、このブログも続けていこうと感じる。