風景スケッチの知られざる魅力

スケッチとは

スケッチは、対象の印象を大まかにかきとめる、いわば作品制作の準備や下絵として捉えられることが多い。

実際の絵をごらんいただこう。

全体的に大まかな色彩と形でとらえ、この絵の場合は細かい木の一本一本を描いてはいない。

ただ、山の清涼な空気感は伝わるだろうか。

そう、実は風景のスケッチとは、その時感じた自分の風景にたいしての印象がより純粋に、鮮やかに表現されると私は考える。

しかし、スケッチ旅行に出ると、半分くらいの作品が風景を目の前にして満足いくまで描ききれない。

なぜなら、スケッチにはさまざまな不自由があるためだ。

そして、様々な制約がある不自由のなかにこそ、風景スケッチの魅力が隠されているのだ。

今日はその秘密に迫りたい。

風景スケッチの不自由さについて

1 画材の制約

第一に、画材である。

私は、ごらんのとおり、ケースにはいる必要最低限のものしか持っていかない。

なぜなら、チューブから出すタイプの絵具や、増して日本画の顔料などを持っていったとしても、戸外で好きに場所を広げることも困難だし、準備に時間がかかってしまう。

なにより、モチーフを探しながら歩くうえで、たくさんの道具を持ち運んで移動するのが不便なのだ。

だからこそ、筆や、絵具など必要最低限の軽い装備を工夫する必要がある。

道具の簡素化として、たとえば、水彩絵の具の固形水彩絵の具で、しパレットが付属したものが使いやすい。

これが実際使っているものだ。

蓋をひらくだけでいちいち絵の具を出すことなく、その場ですぐに混色できる優れものである。

このように、風景スケッチで使う道具に関しては簡素化と利便性をよく考える必要があるのだ。

画材が制約されるからこそ、その少ない道具には愛着が湧くし、使い込めば使い込むほどに道具と自分の距離は近くなり、熟練の技法も生まれてくるだろう。

2 時間の制約

風景スケッチは短時間のみでしか行えないことがほとんどだ。

例えば雨の中の山の風景を描いていたことがある。雨粒の跳ねる濁った水面を描こうとする。

しかし、その5分後くらいには雨がやみ、その風景は見られなくなる。そうすると、記憶のみで描くことになる。

心に刻み付けた印象を描きはするが、もう目の前にない、姿をうつすのは難しい。

本当はもう一度その姿を見せてくれ、と心のなかで悲鳴をあげる。そして、その姿は二度とあらわれないことがほとんどなのだ。

このように、描きたいと思うものがあっても、その風景が持続する状況にないとき、かなり苦労するのだ。

さらに、これをみてほしい。

おわかりになるだろうか。画面全体が、にじんでいるのを。

これは実は、土砂降りのなか、傘をさしながら雨の降る山の姿や雲霧のなかにかすかにのぞく木々などを描いたものだが、

あまりの強い雨で画面が濡れてにじんでしまって制作を続行できなくなったのだ。

雨や雪や猛暑のなかでは、長時間の、制作はできないのである。

このように、天候やタイミングに左右され、少ない時間でしか描けないのが風景スケッチである。

しかし、だからこそその筆さばきには、一瞬の、このときしか見られない美を繋ぎ止めようとする力が宿っているように思う。

3 .場所の制約

観光地や、文化財のある場所では、そもそもスケッチ自体できない場所が多い。

実際、京都にスケッチ旅行したときのことである。

以前はスケッチ自由であったが描く人がひとつの場所に留まることで写真が撮れないと参拝客とトラブルになったことがあるとのことで今は禁止になってしまった寺があった。

また、ある寺では、敷地内を整備してくださる職人さんは私の絵を応援して下さったが、別の警備の方からは水彩で描くのは止めてほしいと注意をされてしまった。

粉が飛び散って汚してしまうかもしれない、ということなのだろうか、、。

美しさを残したいという想いは一緒のはずだが、描くという行為は、確かに文化財保護の難しい問題をはらんでいる、と色々考えさせられた。

美しく風景を保ってくれている人々がいて、描くことを許してくれる人がいて、はじめて筆をとれることもある

ということを改めて感じた。

描ける場所もあれば、描けない場所もあるのだ。

だから、今こうして、風景を目の前にして描ける。そのこと自体がありがたいとおもう。

制約があるからこそ

限られた時間、限られた場所、限られた画材で描かなければならない風景スケッチでいつも痛感するのは

無常感である。

この時、この場所でしか描けないかもしれないり

でも、だからこそ、必死に残そうとするのであり、そのなにかを必死につなぎとめようとする精神が風景スケッチには宿る。

それは、確かに純粋な感覚の痕跡であり、表現としてもっとも自分の魂が直結してゆく気がする。

長い時間をかけられる、これもできる、なんでもできる、そういう普通の絵画表現にある自由さがないからこそ、輝く魅力があるのだ__。

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