スケッチというと、皆さんはどのような絵を想像するだろうか。
このような、さらさらっと描いたようなイメージを想像するだろうか。
この画像を見てお分かりになるかもしれないが、
スケッチ(写生)は、一般的には略図とされ、大まかな印象を表現するものとして捉えられる。
そのため、5分、15分、1時間と短時間でつくられることが多い。
しかし、私がひとたびスケッチに入ると、その時間は3時間以上に及ぶ。
一枚をとことん描くこともあれば何枚も構図を変えたりしながら描くこともある。
ここまで私がスケッチにこだわる理由は、風景を上手く描くことよりも、
生の風景を目の前にする体験
を大切にしているからだ。
風景は生き物である。
この冬、私は京都の山奥へスケッチの旅に出た。
極寒のなか、1時間、2時間、次第に手足の感覚がなくなり、手元を震わせ、歯を鳴らしながらそれでも描き続けたのである。
宿に帰り、写真を見ながらゆっくり描けばよいはずである。そのほうが落ち着いて描けるし、寒さで手が震えて手元が狂うことや、集中が、削がれることはない。画材も好きなように広げられて描きやすい。けれど、そうしないのは、
できるだけ、
「生きた風景の目の前で自分も生きる」
ためだ。
その一番の理由。
それは、
風景はうつろう。
ということである。
はっとする美しい風景は、見え隠れを繰り返す。そしてそのうち日が落ちて消えてしまう。けれど、そこに必死に追い縋るように、記憶と現実のあいだをさかんに行き来しながら目の前の風景のうつろいと向き合い、制作すること自体に意味がある。
一期一会のその場限りの運命ととらえるためだ。、
私は、画家として目にやきついたものしか描けない。「ちょっと綺麗だな」「絵になるなぁ」くらいでは描けないのである。、
だからこそ、電撃のような鮮烈な出会いを果たした風景に対しては、
どうしてもこれを目と心に焼き付けたいという衝動が沸き起こる。
そこから先は時間との勝負である。
刻一刻と消えてしまう、うつろいゆく自然の姿を留めるために。、
空も山も光も、色もとどまってはくれない。
私は心身のもつ限り、ひたすらその場にとどまり、風景を眺めるのだ。そして描くのだ。
ただ、みること、同時にその筆を動かすことに全集中する。対象を、目の前にして、心身一体となりなり振り構わず必死にそれに向かっていく。
家にかえれば身体は動くが、心や眼は生の風景を前にしなければ、動かない。風景は生き物なのだ。
同じ風景には2度と出逢えない
この考えに至ったことにはきっかけがある。
わたしは実際に旅のなかで「風景のうつろい」を、痛感したのだ。
まずは、、この画像を見てほしい。
これは、京都の奥貴船の北山杉の、林である。
北山杉とは、以前の記事に書いた、わたしの風景画制作の原点である。大学時代、はじめて一人旅をして出逢ったモチフだ。その真っ直ぐな細く、清らかで凛とした立ち姿に、自分もこのように生きていきたいと、感銘を受けたのだ。以来、わたしの人生、画業の指針心に宿る風景である。
ご覧のとおり、無惨な倒木があちらこちらに見られた。これは去年の7月の台風の影響である。
先ほど前述したように、私がこの、冬京都へ旅立ったのは、この北山杉を描くためだったのだ。
北山杉のかつての美林を求めて旅立った。
しかし、現地につくと、かつての美しい姿はそこにはなかった。
葉の清涼な青さや、一糸乱れぬ絹の流れのような林立は見ることはできず、
かわりにあったのは、少しくすんだ葉、無惨に倒れ、折れ曲がった痛々しい姿ーー。
貴船は、北山杉以外にも、大きく変わってしまった。それは5年という歳月を経て、自然災害、観光地化など、様々な影響によってである。
台風によって、風情ある叡山電鉄も、奥貴船の先にある深幽な芹生の里への道も閉ざされた。
SNSなどで話題になったのだろうか、古い料亭を残して、貴船神社周辺はカフェや茶店に占拠され、タッチパネルの看板なども出てきてすっかり貴船の奥座敷と呼ばれたかつての秘境はすっかり観光地になってしまった。
わたしが5年前に見た、あの静かなせせらぎに包まれた奥貴船の姿はもう見られないかもしれないと感じた。山深い芹生のどこまでも吸い込まれるような美林も。
どんなに美しい風景でも、忘れがたい光景でも、同じ風景を見ることはもう2度とできないである。
今回の京都の旅でそれを痛感した。
けれども、どんなに時が流れ、かつての風景が消え失せても、あのときわたしがみた風景はわたしの絵が証明しているのだ。
この絵がわたしの手元にある限り、あの時描いた時間を感覚を、鮮明に思い起こせるだろう。
いつだって、そばにあるのだ。あの向き合った時間、必死に描いたあの時間は私のもつ時間のなかでもっとも尊い。
時間という概念を吹き飛ばし、そこに生きている感覚ーー。「唯一の」、尊い感覚である。私はこの感覚を時間を守るために、スケッチをする。
↑5年越しに芹生を訪れ、スケッチする筆者
風景を前にしているときがわたしのもっとも時間を忘れる時間であり、
それは一瞬の輝きであるので、風景の前の時間が長くなればなるほど、
それも少しずつ薄れていく。
けれども、そこから一歩でも動いてしまったら、その体験はもう得られない。
2度と。もう2度と同じ感動に出逢うことはない。
だから、できるだけその感動を味わいつくす。魂に刻みつける。
そのために必死にその場所にとどまり、手を動かしつづけるのである。
あえて、描くことを捨てる
さて、
そうしてあくせくして出来上がった作品は、素晴らしいか?
逆である。
はっきり言って、「駄作」
である。
なぜか?
技術を優先しないためだ。作品としての完成度をあえて
「捨てている」ためだ。
絵描きなのに、絵を描くクオリティを捨ててまで得たいもの。それは、先ほども触れたように。うつろいゆく風景の
いま、この瞬間の
「いのちと向き合う時間」
である。
眺めながら描くというより、もはや画面はみずにほとんど対象をみながらかいているため、描くことを考えていないため、構図も考えない。形も線も色も乱れるし、絵としての見栄えもない。
だから、実際できあがる絵は鑑賞に耐えない。
しかし、その染み込んだ体験がのちに鮮やかにその絵を思い起こす手がかりとり、本制作の作品へと鮮やかに、大作となり昇華する。まだ取り掛かっていない作品だが、展望は不思議と明るい。それは、この駄作のスケッチがあるからなのである。
それに、そのスケッチは、駄作ながらも、本質を少しだけ掴んだものにみえるのだ。せんもかたちも構図も微妙でも、整った上手い絵よりも価値あるもの、風景との時間の共有という2度と手に入れられない財産がそこにはあるのだ。
対象と向き合う時間が長ければ長いほど、その残した作品はとしての駄作たちは、経験としては結果的に良い絵が生まれるのである。
スケッチ写生とは、すなわち生きることである。とし、こころが死にかけたタイミングで、私は必ずスケッチの旅に出る。そうすれば、必ず、尊い時間と出会いに恵まれるからだ。
このような風景を見ることそのものが、描く喜びを超えるためだ。
この命が尽きるまで、風景を見ること、見つけること。見出すこと。
そして、その風景と、心身を一体にして向き合う体験を、することーー。