皆さんは昔の浮世絵※などでこういう絵を見ないだろうか。
《ポッピンを吹く女》喜多川歌麿 https://g.co/kgs/iVGBoK
※江戸時代に盛んに描かれた風俗画で、遊女や芝居などを題材にしたもの。
着物を着て簪をさし、細い眼に、つながりそうな眉に、ちょんとしたおちょぼ口、扁平の頭に下膨れの、のっぺりとした、輪郭の女性たちー。
これは、「美人画」と呼ばれるジャンルである。
しかし、
顔の造形だけ見ると、あんまり美人と言えないようなー?
特に、昨今の日本女性の美人像は、西洋風の、丸い頭で、目は大きく顎は小さく尖っているこんな感じの女性ではないだろうか。
かくいう私も、実は全く美人画の女性たちが美人だとは思えなかった。
けれど、ある時、いつだったかー。
たくさんの美人画を見ていくうちに、この女性たちの美しさが突然わかったのだ。
それは、普段感じている女性の美しさ、顔の外面、目鼻口のパーツの造形美以外のものだったのだ。
それから美人画の見方が大きく変わった。
そう、彼女たちの美しさは顔の造形ではない。
それ以外の美の要素がたくさん詰まっているのだ。
それでは、奥ゆかしい美人画の世界へようこそー。
※なお、現代の美人画は日本画や浮世絵に限らず西洋風の美人を描かれたものも多い。
そのため、今回は、江戸から昭和時代頃にかけて描かれた日本画や浮世絵に描かれた美人画にスポットを当てていきたい。
どこまでも澄み切った画面
美人画の魅力は、なんといっても線である。
この髪という作品ー。
姉妹だろうか。
ゆあみたあと、髪をすいともらっている。
ぴっとそろえられた、指先。なだらかな肩。そしてなんといっても、タイトルにあるように、一本一本繊細に描かれた髪ー。こしがあり、少し湿気をはらんでもったりした髪の質感ーー。ふんわりもその髪をもつ手。
そのひとつひとつの微妙な仕草やニュアンスがぴりっと意思をもった一本の細い線によってあらわされているのだ。
さらに、色彩構成、配色も見事である。
妹のほうは、唇の色が少し赤く、頬もほんのり色づく。
まっすぐな縞模様は間隔が広く、シロクロに赤がさしたはっきりした印象で、渋さと実直さのなかにはつらつした若々しさを与えている。
それに対して唇の色も肌の色も腰巻きの色も薄く、白さが際立つ姉。
その2人の控えめだがそのほんの少しの差異が見せる対比はひどく奥ゆかしい。
この作品胸元ははだけていて裸体画になるのだが、なぜかまったくいやらしさを感じない。
むしろ、どこまでも澄み切った空気をたたえている。穏やかで静かな時間ー。
それは、この洗練された線と色彩によるものなのだ。
見れば見るほどその世界観に溶け込んでいける。
2人の女性はほんのり微笑んでいて
時節、姉さん具合はどう?ふふっと声が聴こえてきそうなー。
背景や身体の影はほとんど描かれてはいないが
よく見ればほんのり薄墨で腰に巻いた布に色づき、うっすら身体の丸みが表現されていたり、
真っ白ではなく、すこし褐色色をのせることで、裸体の白さを際立たせている。
必要最低限の線、色数。
それで、作品世界を完結させる、説得力や実在感を与える必要がある。
だからこそ、洗練されているのだ。
美人画の線には、作者の強い意思を感じる。
その筆先を想像できるような空気が流れているのだ。
隙も影もほとんどなく、さっぱりした画面であるが、そのなかなかほんの少しの意匠が、逆に清廉なのである。
その控えめなかに、光るアクセントがー。
着物と所作の粋
舞台は海沿いの遊郭ー
夜半の月。霞が買った半月は、もの寂しい雰囲気を纏っている。海に浮かぶ数隻の船。
束の間の休息だろうか。着物を着崩した遊女たち。
窓の外の月を眺め、もの思いにふける女性。
誰かからの恋文か、はたまた難しい学問書か、一心に読み耽る手前の女性、
そこに「なになに?」と肘を女性の背中のせ、なだれかかるように覗き込むもう1人の女性。
しどけなく羽織は肩まで下がっていたり、胸元が少しはだけた着方
柵にだらんとかけられた布が呼応し、、ゆるく、しどけない印象だ。
着物の色合わせは赤と緑の補色を使い、流石に華やかな印象だが、
海景に合わせたように、右の女性の着物の柄は涼しげな流水柄が使われている。
涼しい海風吹く霞み月夜ー。
遊女のちょっとした仕草や着物の着方、柄。それらがすべて
アンニュイで、少し俗的な、江戸の遊女の美をあらわしているー。
日本の粋ー「生き」方の美
それでは、改めて最初の美人画をみてみよう。
いかがだろうか。
見え方が変わったのではないだろうか。
赤と金の配色で鮮やかに表現された着物、簪。同系色の桃色、市松模様は、若くはつらつした印象だ。
袖がふわりと上がった着物の線の流れは流麗で、風が吹いているのか、
屋外でポッピンを吹いて遊ぶ女性の
優雅で、粋な様子だ。
そう、
日本画の美人は、顔の造形ではなく、所作やファッション、精神ー。女性の意思や意趣をを示す美だ。
そう、生き方そのものの美なのである。
さらに、
細く柔らかい線描による髪の毛一本一本のぴんとした描き方、目の吸い寄せられるようなうなじや生え際の繊細なぼかし、指先、着物の振りさばき、配色や柄に隠された意匠など、
技法面の見どころも数えきれない。
美人画には、日本の粋のすべてがつまっている。
浮世絵は、アメリカやヨーロッパのコレクターがこぞって買い取り、今でも海外で人気を博し、コレクションは海外の美術館所蔵が多い。
モネやゴッホらも浮世絵や美人画に魅せられた。
その理由が、みなさんにも想像できはしないだろうか。
影を使わず、線の力だけで立体感や動きを表現した日本の線の力、着物の配色や柄の美。少ない要素で華やかさを演出するその技巧は、西洋人には衝撃的だったのではないか。
それでは、最後に、私が美人画のなかでもっとも美しいと思う一幅の絵をご覧頂き、
今回の幕引きとしよう。
作者は上村松園ー。
激動の人生を歩んだ女流画家である。
これは舞を踊る芸妓をモデルにした絵画であるが、きっと引き結んだ口元、まっすぐ彼方を見つめる目、ぐっと力を込めて握りこまれた手、扇をまっすぐのばす右腕は、
画業への真っ直な強い意思を表し、控えめで繊細な表現のなかに青い焔を燃やす
松園自身に見えるのだー。
私も、彼女のように、ぴんと背筋を張って生きていきたいものだ。
少なくとも、画業と向き合うときはどこまでも誠実に、真っ直ぐにー。
ちなみに、京都の京セラ美術館にて今夏、この序の舞を始めとする松園の傑作を展示する上村松園展が開催されるので、ご覧になってはいかがだろうか。
それではまた。
ご覧頂きありがとうございました。