![ミケル・バルセロ展 展覧会感想 ___うごめく一切への鎮魂歌__](https://artkururi.com/wp-content/uploads/2022/03/image-18.png)
私が、ミケル・バルセロという画家に興味を持ったのは、
画面上でこの作品を見たときからである。
雉のいるテーブル
この絵の禍々しさを一目みて、このスペインの画家に強烈な興味を持った。
なぜなら私がかねてから感じていた、
中世から近世まで連綿と続く、スペインの暗い歴史ー。
グレコ、ゴヤ、ピカソ、ミロ、ダリらの奇想の系譜を、想起させたからでる。
私が以前の記事 https://artkururi.com/?p=3677
に記したように、スペイン絵画に強烈に惹かれるのは、
人間、あるいは大地の「恐怖の根源に関わる底知れぬなにか」を示しているからである。
この現代美術家もまた、その血を引き継ぐ者なのだろうかー?
騒ぐ心を抑え、そのことを確かめるように、本展示へと向かったのだ。
しかし、そこでは、私の期待とは裏腹な思いがけない感慨が待ち受けることになるー。
止まった絵画
次々とあわられる大作ー。それらを生で見た私の第一印象ー。
それは、こんな感じか。
という、シンプルなものだった。
つまらない作品では勿論ない。けれど、取り立てて心が動かされるものではないー。それが正直な感想であった。
海のスープ
巨大な絵画ー。たわんだキャンパス、さまざまな素材を混合させたであろう、物質感。
作品ごとに、キャンバス、板、小石、顔料をことごとく変化させ、
ひとつとして、同じ形式、材料、技法の作品はない。
亜鉛の白 弾丸の白
しかし、それはどこか他人事で、イリュージョン的であり、
表面のゴツゴツとした物質感に圧倒されるばかりで、私の求めていた内省的な感動はなかった。
セラミックでつくられた、でこぼことした器たちもどこか遊戯的に見えた。
開いた無花果
私は、少しの落胆を抱えた。
ぼやっとした消化不良な気持ちのまま、上階の展示に向かったがー。
しかし、私はそこで、思いがけず目をひらかされることになる。
そして、バルセロの、本当の魅力に目をひらかされることになるのだー。
うごめき、失せてゆくものたち
そこで待ち受けていたのは、
バルセロのアフリカでの画帳や紙の作品の展示であった。
それらは驚くことに、一階の大作とは比べようもないほどに。
アフリカでの実生活しながら描いたそれらの作品は、
めまぐるしいほどに、「生きていた」ーー。
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それは、もう気を失うほどの熱気ー。
虫食い、たわみ、折れ目の残る紙、黄ばみ、砂や岩石がこびりついたスケッチブックー。
作家の熱気ではない。アフリカという大地の土の、生活の、熱波である。
現地の民族たちと土をこね、目もあけられぬ強烈な土ボコりのなかで、
彼の感じた熱さと極限が、まざまざとそこには残されていた。
影、蜃気楼、光、虫、太陽、光、熱風。
わたしは次第に気持ちが汗ばんでくるのを感じた。
ざわざわと、なにかが崩れはじめる。
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![](https://artkururi.com/wp-content/uploads/2022/03/image-1-768x1024.png)
黒い頭。、白蟻にくわれた虫食いの紙ー。
胸をだして腰をまげ、紫のスカートをなびかせる少女。
しみ。土。汚れ。にじみ。穴。
河原を歩く人々。
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そのうだるような熱気。
彼のペーパーワークは目を見張るスピード感と鮮やかな色彩と線の流動によって、ことごとくに魅了された。
純粋な、パッション、生命、根源のうごめきー。
生え、芽吹き、開くー。
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生きている。目の前にいる。速攻で描く。止まらない。有機的なものは、一切が消えてなくなっていく。遅かれ早かれ。多かれ少なかれ。
その流動。
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流れ、流れ、決してとまらない時間。その時間の片鱗。のびてゆくもの。動いているもの。生まれるもの。消えゆくもの。
彼の筆跡が、身体の跡が残像となって浮かんでは消える。
削り、スッと描き、ぼつっと大きな筆で点をおき、ぬるっと、首にまく。
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ざざっと細い線をー。
滲んだ細い腕。
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ほそくのびる足先の指。
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粘土にあいた指の"あな"。
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絵をみていると、だんだん動いているバルセロと一体になるのだー。
強烈な感覚が身に伝わるのを感じ、
私の足は、再び下階へと向かった。
動き出した絵画
ーすると、どうだろう。
はじめは、止まって見えていたバルセロの大作たちが、動き出したのだ。
そう、だんだんと、
動いているように「みえてきた」のだ。
さらに、再び作品と対峙するなかで、
初めは見えてこなかった彼のイメージの重複にも気づくことになる。
幼少期を海で蛸を獲り、果実を採って自然と戯れていたバルセロのモチーフには、
メロンや蛸がよく登場する。
そして、うねる生き物、海の流れ、腐りゆくもの、それらに共通する流動を、各々の物質において表現しているのだ。
腐る。うごめく。
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座る。 凹む。
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飛び込む。
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水が流れる。滴る
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生き物がうねる
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積み上がる
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刺さる、突き上げる。
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裂ける、割れる。
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まわる(循環する
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点在、蛇行
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![](https://artkururi.com/wp-content/uploads/2022/03/image-21-1024x768.png)
絵を眺めているうちに、目を閉じ、それを指で撫ぜて何かを確認したくなるのだ。
消えたあとに残るもの
バルセロの作品たちは、すべてが繋がっていた。
心がざわつく。
目覚め、伸び、うごめく骨、茎、葉、肉、天候、大地の変動、あるいはことわりー。、
生き物の根源的な流動ー。
それらのことごとくがここにはある。
土が、岩がごつごつと、凹んだり、削られたり、突出したり、隆起したりする。
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スケッチブックは汚れ、飛び散り、はじける。
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その画帳は、《一切は流動である。》と叫んでいるようだ。
バルセロによる、ライブペインティング映像をみる。
そこに映るのは、全長200mの大ガラスに土で大地や骨を描く、あるいは大きなキャンパスに水のみで描き、消えるまでを眺める彼の姿である。
映像のなかで、バルセロは、「物質と身体の関係性」について話している。
絵画は、身体によってつくられるものだ。
そこに物質が介在しているー。そして、そこには(時間)の問題がつきまとっている。
なにを描こうかなどと考えてはいけない。考える前に描くのだ。
速攻で描かなければならない
と。
一階の大作品、おそらくアトリエで描かれた堅固な作品より、
すぐに消えてなくなってしまう水の幻影、ガラスに土で描いた壁画のほうが、強烈な美を放っているのはなぜだろうかー。
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そのヒントは、
次のバルセロの言葉にあるのではないか。
一切は、多かれ少なかれ、早いにしろ遅いにしろ、消えてゆく。
それは大した問題ではない。
だから、ガラスに土で描くし、布に水で描く。
消えた瞬間に、それが大切だと、美しいとわかるのだからー。
こんにち、何かを長く遺すことに躍起になるばかりだ。
けれど、もしかしたら、作品の堅牢さは、作品の価値や美しさに比例しないのかもしれない。
絵画も、壊れないもの、きれいに額がつけられたり、側面が処理されたり、
耐久性の高い絵具や基底材を使うことが重要である場合が多い。
けれど、バルセロの芸術は、そんなものは気にしない。
むしろ、その脆弱さに美を見出している。
消えゆくものに美しさが宿るのだとしたらー。
描くというその一瞬に命が宿るのならー?
ミケル・バルセロ展ー。
私の芸術観にまたひとつ革命を起こしてくれた。
ここから、もっともっと自由になれる気がするのだー。
https://www.operacity.jp/ag/exh247/
本展覧会は、東京オペラシティギャラリーにて、3月25日までである。一目ご覧あれー。