冬の奈良を訪ねて_古(いにしへ)の旅II_

「奈良の月」

万葉では淡海と書いて近江である。

生駒から東へ真っ直ぐ大和盆地を眺め、その先の淡海の国を思う。

今日は連日の晴天とは印象が異なり空も大和盆地も青垣山も、すべてがたなびき薄靄のなかでただよう。

日も落ちた頃、次第に大和の山々と空の境界も薄くなってゆく。やさしい、やさしい色だった。漂うすべてのものたちよーー。

宵の口になり、ふと東の空を見上げればぽっかりと穴があいたようにまあるい、薄化粧の色の月が、霞たなびく雲の隙間から顔を出す。隠れ、また姿をあらわし、また隠れる。その様子をただぼんやりと眺める。

そうして、気づけば月の色はさやかに、濃くなっていたー。

そのお姿のなんと麗らかなことよ。興福寺の月光菩薩立像の楚々しながらも凜とした清らかさを思い出す。

本当に月読命がおはすのではないだろうか。あまりの神々しさである。

この冴え渡る月光に当てられ、仏師がそこに菩薩の姿を幻視し、表現せしめた事が想像できる。

それほど、奈良の月はいたく鮮麗である。

お出ましになり、また帰られてゆく。その姿を見送るー。

“奈良のうへ 隠らふ月を惜しく思ふ 雲にこの身を溶かしつるかもーー。“

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