7月某日朝6時。
新宿から乗車した夜行バスで京都駅八条口に到着する。
バスから降り立ち、寝不足のぼんやりとした頭で空を仰ぐと、曇天。
しかし東京のもったりとした湿気はなく早朝の涼しさが心地よい。薄明の、まだ街が眠っているような静けさの中、嵯峨野に向かう電車に乗りこんだ。
窓際の席にもたれ、車窓から街を囲むように広がる西の山並を眺める。
梅雨のぼやけた空の下、鼠青の澄んだ色で雄然と浮き出ている山影。
その吸い込まれるような美しい色彩とシルエットに導かれるようにスケッチに取りかかる。
筆を走らせながら電車に揺られていると、次第に稜線が近づいてきて、はっきりと見えるようになり___あっという間に嵯峨嵐山駅に着いた。
ホームに降り立つと、京都駅では見られなかった小雨が蕭蕭と降っていた。目の前に大きく嵐山が迎えてくれる。
小雨のなか、間近でみる嵐山は、白っぽい空気の中に山全体一面が青々と澄んだ色彩で濃く浮き出ていて、思わず息をのむ。
夏の日が照ってる盛緑の嵐山は部分ごとの木々の緑が際立ってくるのだろう。
今は細部がたち消え、黒いシルエットのみが際立っているため、山そのものの迫りくる感覚がある。
稜線がよりくっきりと空との境目を分け、その天辺に赤松の生えてる形がくっきりと見えた。
なだらかな稜線にぽこぽこと生える松の梢。ここまで一本一本の木々の形が見える山の姿は嵯峨嵐山と鷹ヶ峰でしか見ないが、非常に珍しいのではないかと思う。
視界を下に移せば、霧間に見え隠れする、緑の森。それは規則正しく扇紋様のように幾重にも折り重なりあう__。
それは、日月山水画屏風に出てくる松山と寸分違わない。この浮世離れした装飾的な風景が目の前にあることに驚嘆する。
日本の原風景は、確かにここにあるのだ。
山合いの天候さながら雨足はよく変化した。数分おき、あるいは一瞬のうちに眩しい日が射したり曇天になったり、またさらさらとした小雨であったりと忙しない。
やがてひどい土砂降りになると山影はもやの中に消えていき、また止むと再びふっと姿を顕すさまが趣深く、見飽きることはない_。
嵯峨嵐山は以前早春と晩夏に訪れたが、どの時期に訪れても異なる情緒があると感じていた。
そして、今回このような陰鬱な季節ですら素晴らしい風情に包まれたこの土地には、ただただ魅せられるばかりである。