![マティスの絵は平面的であって平面的ではない。絵画に隠された驚きの仕掛け。](https://artkururi.com/wp-content/uploads/2021/06/image-7.jpeg)
色を自在に操った画家
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みなさん、この絵画の作者をご存知だろうか。
20世紀の、ピカソと並ぶ巨匠ーー色彩の魔術師と呼ばれた男ー。
【アンリ・マティス】である。
かのピカソがその才能に嫉妬していたというほどの絵画の天才である。
本日はそんなマティスの凄さに迫りたい。
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アンリ・マティス
描かれるのは、室内の窓、テーブル、花瓶、、。
マティスの絵画は一見、立体感を無視した平面構成のような描き方てある。
しかし、平面的な表現によってあらわされたのは色彩と線によるバルール(量感)である。
たとえば、このテーブルの上の花瓶の花に注目してほしい。
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花の紫色と葉の緑の点々の間に白い塗り残しがある。
それによって、花に当たる光があらわされている。
床や椅子の模様やつくりの線はところどころ下地の薄い橙色が塗りのこしによって露出されている。
けれど、その塗り残しが、
家具や床にあたるちらちらとあたる光となっている。
ほかの部分の光の描き方はどうだろうか。
1番彩度の高い白は画面の中央の光がさしこんだ縦線のなかの一点におかれている。
そこに自然と目が吸い寄せられる構図だ。
影の部分は黒は使われず、明るい緑が使われているが、ほんのりくらい茶色がのせられ、彩度が微妙におち、日中の暗すぎない影の微妙な質感が表現されている。
なぜだろう。
すべて隈なく描き込まれた絵画より、
リアルな部屋の内部の中に身を置いている気分になる。
再構築により、具象としての「テーブル」「花」ではなく、
部屋にいるときの自分の虹彩に灼きつく感覚がこの画面では表現されている。
この絵を前にすると部屋のなかで窓から光を浴びている自分自身の存在を感じる。
絵画による再構築とはよく聞くが、
それはすなわち、
「絵画の呪いからの脱却」である。
絵画の呪いとは、ダ・ヴィンチ以降連綿と続いてきた自然をひとつの視点を基準とした規則のもとでつくられた
「絵の具によるイリュージョン」
である。
どんなに写真のような絵を描いても、そう、絵画は写真のリアルには及ばない。、
絵画はあくまでも絵画なのである。
そして、マティスの絵画は見事にその呪いを打ち破っているのだ。
本当のリアルーー。静物画や室内画によくある死んだ具象を生きたリアルへ昇華させるー。
そこにマティスの技がある。
線のリズム
ところで、
マティスは、「色彩の魔術師」と称される。
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それでビビッドな色にかなり注目されるが、
本当は、線のリズムが非常に美しい作家である。
皆さんお気づきだろうか。
中央のテーブルよく見てほしい。
お気づきだろうか?
実は、
テーブル面が右に傾いているのだ。
マティスは、なぜテーブルを傾けたのか。
不自然で不安定な空間をつくりたかった?
そうではないだろう。
なぜなら、皆さんはこのテーブルが傾いていることにすぐに気づいただろうか?
自然に、普通に見えていたのではないだろうか?
そう、マティスはこのようにものの形の線を操るが、決して不自然には見せない。
では、マティスはなにを狙ったのか?
実は、テーブルが傾くことによって、その方ー。
つまり、右下の方向に、私たちは視線を誘導されているのだ。
その先には何があるかー。
そう、ちょうど窓際の桟と椅子のあたり。つまり、光が差し込み1番明るい部分があるのだ。
さらに画面の右側の椅子を見てほしい。
画面のはじに寄せられ、
その窓側の光の方向に向かって横向きにおかれた椅子。
これも、実は真ん中の光の部分に視線を誘導している。
肘掛けも湾曲を描き、光側を包むようだ。
そう、テーブルと、椅子の線によって、自然と視線は、窓にひきこまれ、また窓から室内全体に広がる。
私たちはこの過程で、
昼下がりのなんてことない部屋のなかにいる体験をするのだ。
絵画のなかの真実
さて、ここでもう一度
タイトルを思い出してほしい。
そう、【窓】である。
このなんの変哲もない窓という響きが、実感をもって迫ってきはしないだろうか。
マティスはこの画面の全てに気を配っている。
線、色彩、描き残しもそれらがすべて、この窓をリアルに表現するために必要な要素である。
例えば、この絵には三種類の緑がある。
よくみれば、
窓の外の緑、花瓶の緑、室内の緑と、黄色味から順に青みがかっていく、陽の光との距離感を秀逸に表現しているのだ。
このようにこの絵に関しては、ひとつひとつ分析していくとキリがないので、これで最後にしよう。
では、画面の1番下に注目してほしい。
この絵画の大きなポイントの一つ、白に注目してほしいのだ。
光の当たる白い部分も、カーテンの部分は影になりすこしだけくすんでいたり、どこも同じ白は使われていない。
床面の絨毯の部分の少し暗くなった白と絨毯の手前の机が置かれている1番明るい白。
その間をはっきり分割する黒い線。
これも、室内にいるときのリアルな視覚を鮮やかに脳に灼きつける仕掛けだ。
見れば見るほどその一筆一筆の描かれる線が色が互いに充足しあい、
この空間に「真実」を与えているのだー。
完璧な線と色彩分割の鮮やかなリズムによって、リアルの体験を生み出す、絵画という名の生命なのである。
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