《滝口寺》 スケッチ

雨もあがった日曜の朝
5年ぶりの滝口寺は、変わらずひっそりと私を迎えてくれた。

本道の奥には布団がたたんで置いてあって、おそらく管理人の方が寝泊まりしているであろうもので、ある訪問客のひとりがもっと、きれいにすればいいのに、とぼやいてた。

ここは喫煙もokで、

まさに現代の駆け込み寺だ。

もう、ひとりの連れの人は煙草を吸っていた。そのただよう香りを感じながら、、私もこの感じがとても貴重に思えた。

人を招く場所ではなく、真に来たい人だけが来る場所…。ただこの空間を楽しみ、なにもせずぼうっとする場所_。


嵐山のさらに西、この小倉山の一帯はあまたの貴族が京の都を逃れて辿りつく場所__。


このひっそりとした寺が、いつまでも私のようなはぐれ者を受け入れる場所であってほしい。

滝口入道と横笛の話は、私にはとても崇高に思えた。純粋に、悲恋の身を裂かれるであろう哀しみを糧に滝口入道はついには高僧となり、横笛は奈良の法華寺で尼となった_。

ひとしきり本堂の座敷から竹藪を眺め、敷地をまわりながら美しく苔むした地面をみたりしていると、ふと眩しい、日差しが深い茂みのわずかな隙間から一筋射し込む。
ちょうど地面にさしこんだ日差しのあたる部分を見ると、なにやら直径1mほどの円形の地面でそこだけ苔はなく真ん中には小さい積み石があった。


よく見ると、その積み石の側には小さなお猪口が一組添えてある。光に照らされ寄り添うようなその姿が滝口入道と横笛の2人に重なって、なにやら神聖なものに見えた。


そこに、葉が一枚ひらひらとやけにゆっくり、まるで下から風が吹いているかのようにくるくると静かにまわりながら落ちてくる。その葉を何気なくぼんやりと眺めていると、その葉は積み石に向かってまっすぐ降りてきた。
しかし、石にのると思った瞬間、それは不自然にくいっと横に曲がり石を避けるように落ちた。


そのとき、なぜかこの目の前の小さな積み石が滝口と横笛2人の象徴だと直感した。

その先に踏みいることも、また触れることもできないものだと__。

この小さな小さな美しいものに向かって、ただ、どうか安らかであれ、と祈りを捧げた。

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