アートの世界には公募展というものがある。
自分の作品を審査してもらい、賞をもらうこと。
いわば、画家の登竜門だとか、宣伝の場だとか色々言われている。規模も参加料もぴんきりで、コンセプトもさまざま。
今日は、そんなコンペにまつわる話をしたいと思う。
わたしが公募展に応募しようとしたきっかけ
そもそも、私が公募展に応募しようとしたきっかけは、
人に自分の絵を見てほしかったからだ。
え、それなら個展やグループ展をやればいいのでは?と思われるかもしれないが、金も画家仲間もなく、コネクションもない今のわたしが手っ取り早くまったく関係のない人に絵を見てもらう手段として、公募展を考えたのである。
したがって、一般的には、展覧会は、賞をもらえる場として知られているが、私にとっては賞の有無はあまり関係がない。
もちろん、評価していただけたら、ありがたいことはないが、賞がもらえなくても見てもらえるだけで貴重な機会だと思った。
また 、自分の腕を試す良い機会としてとらえる部分もあった。自分の絵がどう評価されるのか、単純に興味もあったのである。
いざ、公募展の選定へ
さて、公募展に参加するといっても、今度はどんな公募展に参加すれば良いのか、真剣に考える必要があった。
数ある公募展のなかから、期間や、提出方法、コンセプト、様々な条件をかんがみて、自分にあった企画を選ぶことが非常に大切になってくる。
なかでも企画コンセプトとの相性は、非常に大切だったと思う。
モチベーションを保つうえで、自分にとって魅力的なコンセプトの公募を選ぶことが重要である。
たとえば、わたしが今回10月から開催される萱アートコンペに参加した。
長野県千曲市で行われるもので、私は千葉住みなので縁もゆかりもない土地だ。
では、わざわざこの場所のコンペに参加したのか?
それは、展示場所が食事処の併設ギャラリーで、地域とアートが密着したコンセプトに共感したからだ。
わたしは、自分の作品を、美術に専門的な人たちだけでなく、カフェなど地域の人々に気軽に見てほしいという気持ちがあった。
美術を身近に感じられる場が大変魅力的に映った。
さらに、この展覧会は賞の有無にかかわらず、応募作品全部をギャラリーで・販売できると言うこと だったので自分の作品を見てもらう絶好の機会だととられたのだ。
実際に参加してみて気づいた公募点の意義
公募展というものを知り、思いきって行動したおかげで、学んだことがある。
それは、期日の制約の意識である。
やはり、絵はコンスタントに描けることに越したことはない。
一定の期間に安定してつくり続けられる力というのはひとつの画家としての指標となるだろう。
わかりやすく期限の決められている公募展に出品することで、時間を逆算しながら作品を完成させる見通しをたてる計画能力がつくだろう。
たとえば、一つの作品をだらだらといつまでもつくっていて、完成させることのできない緊張感のない制作は、やはり良くないと感じる。
締切という概念すらなかった、のらりくらりと制作してしまいそうだったちょっと前までのわたしにとっては良い意味で尻を叩かれる感じで、それ自体に意味があったと思う。
公募展に出品するなら、目的を見失わないこと
ところで、わたしは先日ある公募展の出品締切り日に、絵が完成せず、出品を断念した。
これは、恥ずかしいことだろうか?怠惰だと思うだろうか?
しかし、私の目的は、自分が納得する良い絵が描くこと。そしてそれをたくさんの人に見てもらうことだ。
そのための一つの手段として公募展への参加があった。
だから実際のところ、私は自分の制作の殻をやぶってより良い絵をつくりたい。
正直、まだ技法も手探りで、画材も、本当に日本画でいいのかと悩んでいる始末だ。
現在も、もう一度水彩の種類や塗る順番を変えてを使ってみたり、あれこれ試している最中である。
だったら、締切りをすぎて、出品がかなわなかったとしても納得のいく作品をかきあげるまでとことん追及したいという思いが芽生えたのも事実だ。
締切を守って早く作品を完成させたとても、そこに妥協があれば、のちのち後悔することになると感じたのだ。
(もちろん、先に申し込みや入金が済んでのちに作品を送る形式の公募では必ず作品を仕上げるが。)
このような場合は期間にとらわれず気のすむまで描くことが最善なのだということも、今回の気づきである。
と、いうことで、結論しては、
・ある程度、わかりやすく目標が欲しい場合
・企画コンセプトに共感した場合
・自分の画風がもっと確率して、 技術が精錬されていき腕試ししたい場合
このような時に、公募展に参加する意義は大きいと考える。
しかし、無理して沢山の公募展に応募してスケジュールをぎちぎちにしたり、手当たり次第参加するのは得策ではないだろう。
その時々で自分の考えや作品の制作ペースに合わせて、参加するという気楽な捉え方をしていくのがいいのではないだろうか。