個展のお知らせ

2021年8月18日〜26日まで

銀座奥野ビル2階 ひのつみ画廊にて

個展を開催する運びとなった。

今回のテーマは、

《晩夏の詩(うた)》

《紅涼み》2021 F6

タイトルを見てお分かり頂けると思うが、

晩夏ー。夏の終わりに、展示がしたいと決めていた。

1週間ほど前だろうか。そう思い立ち、

今年は、時期も時期なのでできないかと、来年にでもできないかと思い、画廊に電話したら、

なんと、ちょうどこの時期のみ、画廊のスケジュールが空いていたので、やりませんか?と言っていただき、二つ返事で「やります」と、

その日のうちに決まった。

この日程をのぞいては、冬までいっぱいだというのだから、

本当に運が良かったと驚きでいっぱいである。

この時点で開催まで一か月を切っているのめ、

なんとも急な展開ではあったのだが。

そんなこんなで、初個展である。

さて、

今回の、個展の目的は3つある。

ひとつは、わたしの原点ー。京都の7年前の旅路の記憶のアーカイブとして歴史に残したかったいうことがある。

今回展示する一連の連作は、7年前の夏、京都の芹生の里を訪れたときの長い山路のなかで出逢った風景である。

《谷の底》2021 F6

あの夏の鮮烈な記憶ー。今はもう同じ風景は見ることのできない。

あの一度きりの、それはそれは美しく静かで、長い山道を辿った旅そのものを、遺すことが、

今後の私の画家人生に大きな意味をもたらすと考えた。

7年も前の記憶をかきおこすことは容易ではないと感じたが、

今、かかずにいつ描くのだろう

これから、私は旅をさらに重ね、またその時の風景を描き連ねていくだろう。

急速な観光地化、度重なるまた自然災害によって7年の間に、すっかり貴船の姿は変わってしまった。

けれど、過去の、たしかに存在したあの夏の終わりの風景ー。

今はもうない、二度と体験することのできぬあの夏の芹生の姿を、空気を、蝉の声を、川床の緑を、しんとした山奥の里を。

あれを描かずに前に進むのは嫌だった。

時がどんどん過ぎ去るのであれば、やはり私はそれに追いついていかなければならない。

そして、わたしは

これまでの全ての旅の歴史を、記憶をひとつひとつ呼び起こし、遺したいと考えた。

その第一弾がこの個展である。

二つ目に、

これはかなり個人的な理由である。

芹生への山道は険しく、電波もなく、本当にこの先に里があるのか?

そんな不安に苛まれながら約2時間半あるき続け、ついに到着したとき。

偶然、里の家を管理している、ある方に出逢った。

その方は、自分が絵を描きに来てると言うと、暖かく家に招いて下さり、麦茶や羊羹をご馳走してくれた。

そのひんやりとした畳の間、透ガラスに冷たい麦茶が揺れるさまにどれだけほっとしたことかー。

《里の家》2021 F6

それ以来、その方とは何度か京都に行く際に連絡を続けている。

しかし、大型台風による甚大な土砂崩れの被害、さらにはコロナウイルスの影響で、

芹生の里へ行くことはとんと叶わなくなってしまった。

諸行無常とは、まさにこのことである。

いつか行こうー。

そのいつかは、永遠に来ないこともある。

それでも、こんなに芹生が遠のいたからこそ、あの夏の今でも鮮やかに、生き続ける大切な記憶を、たしかにあったあの瞬間を今に繋ぎとめたい。

だから、今回、逢いにいくことも、個展に来ていただくことも叶わないあの方に、

この遠く離れた地から、

今回の展示の記録を一冊のパンフレットにして、贈りたいと決めたのだ。

これは、かなり一方的な想いである。

けれど、たしかにあった、あのひとときをどうにかして遺す。そして、それを伝えたい。

想いが届くかどうかはわからないが、この展示はまず、その方への感謝を伝えるため、

こんな時勢だからこその一つの贈り物としての役割があるのだ。

そして、最後の3つ目。

それは、やはり、

このブログを読んでくださる皆さんに私の世界を見ていただきたい

と切望するためである。

私は、今までグループ展はいくつか参加してきたが、どれも多くて数作品程度、自分の世界を正面から伝えられるものではなかった。

けれど、今回は個展

やってみたいこと、こだわり、自分の今出せる世界をなんの障害もなく思う存分やらせてもらえる。

空間の音楽、構成、キャプション、詩、絵ー。

それらの全てを調和させ、ここに一つの、たしかにあった、晩夏の旅路を、皆さんが体験する展示である。

さぁ、忘れられない夏の終わりの旅をゆこうーーー。

《立静》2021 F6

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